2017年06月25日

挑戦と冒険

思わず、ため息が出るほど美しい写真を撮る人に出会いました。
彼は、西安出身の中国人。日本で働きながら、東工大で論文で博士号をとったんだそう。

その後、彼は日本の企業のシンガポールの支店の立ち上げを任されたそうです。その時の仕事はうまくいき駐在待遇だったので給料が2千万円ぐらいあったそうです。

でも、どうしてもアメリカでトライしたいとの思いから、そんな良い待遇でうまくいっている会社をやめても、ゼロからのスタートで渡米することを決心。

でも会社を辞める決心を言った時に、日本人も中国人も友人全員が、気が狂ったのか。と大反対したそうです。

誰にも賛成してもらえないまま、彼はシリコンバレーにいきます。
で、ゼロから作った自分の会社を上場させたそうです。
(ストーリーが色々すごすぎなんで、割愛)

そして今、中国に戻り工場も作り、今度は中国で新しい会社を展開中。

趣味は冒険旅行で、世界中を旅しているそうです。

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彼にため息がでそうな写真をたくさん見せてもらいました。

でも、写真見ながら、「あ、ここ北極で車が雪で動かなくなり死にそうになったんだ」とか。
「前の車が白熊に襲われそうになった」とか。苦笑


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パラオの海でサメに出会ったこと。南極と北極の違いや、アフリカはナミビアがいいとか「日本語を久しぶりに話しました」という彼の話しに聞き入ってしまいました。

会社を起こすことも困難や見えない道がたくさんあるところを切り開くわけで、「自分には無理:って、止めるのは、いつも自分の頭の中にある壁なのだよなぁ、と思える出会いでした。

しかしそれにしても起業する人は冒険好きよね。。。私も、安定志向ではないし、いつでもゼロに戻れるという自負があるのですが。こんな断崖絶壁のところにいきたいとまでは。。。。
思えないかも。(ノ`Д´)ノ

いや、単に自分の頭の中をオープンにすれば、いいだけ。よねw

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2017年06月24日

目に見えないもの

友人の猫が死んでしまい、使っていたブランケットを見ては、何度も「まだそこにいる」ような気がするのです。って言ってました。
ペットは、家族と同じだと思います。だからその気持ちが、痛いほどわかります。



そんな話を聞いていて、ふと母の亡くなった後の不思議な出来事を思い出しました。

母は癌で亡くなったのですが、実は妹は海外で留学中で死に目に会えませんでした。彼女が戻ってきた時、実家はすでに菊の花に包まれたお葬式の用意が整っていました。
妹は知らせが遅かったことを怒っていました。

「死」というものをまじかに見た経験がなかった私には、母がもう死んでしまうようには、みえなかったのです。

彼女の悲しみはそれはそれは深いものがありました。
自分の部屋でうずくまって震えて泣いていました。
私は私で、まだ学期途中だしとか、母はなぜだか死なないと信じていて、早く帰ってきてもらうという判断がなぜできなかったのか、自分の落ち度に苦しみました。

お葬式が終わった日の夜に、妹の部屋の縁側に小さな猫がきました。野良猫だと思うのですが、子猫で、可愛くてずっと縁側でにゃあ、にゃあ、泣くのです。
私たちは、その子が可愛くて思わず、ミルクをあげました。

猫は頭がはげていて、まるで抗がん剤で頭の毛が亡くなった母のようだと私たちは苦笑しました。


愛らしい猫は、次の日もその次の日も縁側に逃げもせず、ずっといました。
「ミルクをあげたからだね」
妹や私たちはその突然の愛くるしい野良猫を見てくすり、と笑うようになりました。
そしてからだなでてあげたり、妹はキャットフードの高級なものを買ってあげたりしていました。
「そんなことしたら住みついちゃうよ」
そう言いながらも、私もその子を見て穏やかな気持ちになりました。

それから初七日の準備や葬儀の支払いや後片付け、長女として、やらなければならないことで目まぐるしくすぎて行きました。あまりにも雑用が多く、また自分も悲しみにくれており、妹にも気を使ってあげることもできませんでした。
その間、縁側にその子猫はずっといて、私たちは猫をなでては、ちょっとだけなごむのでした。

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そして、初七日が終わった日に、子猫は突然いなくなりました。

私たちはパニックになりました。交通事故にあったのではないか。保健所に連れて行かれたのではないか。そこらじゅう、探し回りました。
餌も毎日あげてたんだから、戻ってくるよ。
私たちは、慰めあいました。

それでも、その猫は戻ってきませんでした。

私たちは愕然としました。猫を飼ったことがなかったので、あの人懐っこさは、ペットの猫だったのかもしれないよねとも言いました。家に戻ったのかな、と。
ふと私が言いました。

「あれは、お母さんだったよね」
「うん。。。」
「写真とればよかったね。。」

私はスピリチャルなことを信じない現実主義者なので、ただの偶然だろうな、とも思っています。
でもあの子猫のおかげで、私たちの心が癒されたのは確かです。

(母がきてくれたじゃないかと私たちがそう思ってしまう)ほど、私たちは愛されたということなんだろうな、と。

「愛」という目に見えないもの。

今、苦しんでいる友人の心が癒されますように。

  
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2017年06月21日

コンプレックス

自分背の高さにかなりのコンプレックスがありました。

昔、背が低い人を好きになったんですが、その人よりも、背が高かったので、最初から相手にされない感じでした。
( -д-)ノ

モデルさんみたいに細いわけではないので、サイズが合わなくて服がないし。・゚(゚`Д)゙

何よりも、思春期の頃、いろんな人から、醜い、でかい、蜘蛛女、巨大。。。と、からかわれたりした事から根強いコンプレックスはきてるのかなぁ、と思います。

ティーンエイジャーの時に、好きな人に相手にされない、ぐらいならしかたがないけど、「醜い」「でかい」って言われるのは多分、きつかったんですよね。


でものちに、アメリカに行ったことで、サイズがあう服があるようになって、「別に私、そんなに巨大でもないじゃない」って事で、そのトラウマは消えていたと思っていました。


でも、小学生の娘がどんどん背が伸びてきたころ、突然、私はパニックになりました。

「ぎ、牛乳飲まないほうがいいんじゃない?」
「睡眠時間長すぎなんじゃない?」


背が高い=醜い

忘れていた自分のトラウマが思いきり降りてきたような感じでした。

娘は、生まれたときからアメリカの病院でアメリカ人の平均枠を超える「長身」と言われたことも心配を増した理由の一つにあったのかもしれません。

そして、どうしよう、って不安な感じが、ちょっとした(ため息)だったり、意識していない、(ひとこと)だったり、いちいち態度に出ていたらしいいのです。

そんな時に、普段、何にも言わない夫が
「お願いだから、背のことについて娘が卑屈になるようなことを言わないで欲しい」
といつもになく厳しい顔で言ったんです。

「僕は彼女が180cm以上になってもいいと心の底から思っている。そのことで、本人にコンプレックスをもってもらいたくないんだよね。背が高くて何が悪いの?」

私は慌てました。

「だって.....。しかたないのわかってる。わかってるけど1cmでも低いところで止まってくれたらって。あの子が誰からも愛されないかもと心配になる」

「あのね、根本的に、問題はあなた自身だと思う」

泣きそうになりました。「だって、いやなんだもん」

「それ、英語ができない親が子どもに英語できるようにって無理に押しつけて、子どもが英語が嫌いになるのと同じ構造じゃない?まず、自分ができるようにして、親が英語で話す楽しみを経験して、キラキラしてたら自然に子どもも英語したくなるようになるでしょ。

自分が嫌だって事、自分で克服せずに、そのコンプレックスをそのまま子どもに移植してどうするよ」


それは、目から鱗が落ちたようでした。。。





自分の嫌なところを子ども移植する、それだけは、しちゃいけないと思いました。

それから、娘の背の高さが心配になってくると、とりあえずは、自分に向き合って、自分のカラダを好きになれるよう努力を心がけてました。運動が大嫌いな私が筋トレしたりヨガしたりコンスタントにしてるのは、そういう理由があったのでした。

それでも一度身につけたコンプレックスはなかなか、なおりません。
鏡見て、あ〜醜いって子供の頃に言われた言葉をつい自分に繰り返してしまう。

なんなんでしょうね、これは。いい大人なのにw 自分の事を受け入れればそれでいいだけなのに。単純な飲み込む事が、本当にむつかしい。

でも、せめて、娘の心に変な穴を開けないこと。それは絶対にしちゃいけない、と自分に言い続けてました。

実は、最近娘が、鏡見て、ふと
「早くママより背が高くなりたいなぁ」
とつぶやいたのを聞いて。

ちょっと「うっ」ときました。
私のコンプレックスを受け継いでない。
それから穏やかな気持ちになりました。

引っかかっていた何かが流れて落ちてくようでした。

途中で気がついて努力してよかった。少しづつ、ですね。

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2017年05月03日

骨はなんて言うんだろう

伊勢神宮の後、偶然立ち寄った朝熊岳金剛證寺。

伊勢神宮の賑やかさに比べて、参拝客は数人だった。

たくさんの亡くなった方々の墓標の横でこんな碑がひっそりと佇んでいました。

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気になって検索したら詩の全文がでてきました。

五月のようにから引用

ーーーーーーー

竹内浩三


戦死やあはれ
兵隊の死ぬるやあはれ
とほい他国で
ひょんと死ぬるや

だまって 
だれもいないところで
ひょんと死ぬるや

ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや

国のため
大君のため
死んでしまうや

その心や
苔いぢらしや
あはれや兵隊の死ぬるや
こらへきれないさびしさや

なかず
咆えず
ひたすら
銃を持つ

白い箱にて
故国をながめる
音もなく
なにもない

帰っては
きましたけれど
故国の人のよそよそしさや

自分の事務や
女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし

骨は骨として
勲章をもらひ
高く崇められ
ほまれは高し
なれど 
骨は骨 


骨はききたかった
絶大な愛情のひびきを
ききたかった

それはなかった

がらがら
どんどん
事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた


骨は 
チンチン音を立てて
粉になった

ああ 
戦死やあはれ
故国の風は
骨を吹きとばした

故国は発展にいそがしかった

女は化粧にいそがしかった

なんにもないところで

骨は 
なんにもなしになった

ーーーーーーー


これを書いた竹内さんはフィリピンで戦死されたそうです。

戦争はじまる前は日大芸術学部映画科の学生だったようです。文芸雑誌の編集者でもあり。

陽気で仕送りのお金は、あれば珈琲か映画、レコード、古本にぜんぶ使ってしまう。
借金もするし、お金も友達に貸しちゃう、陽気でちょっと芸術肌の青年だったみたい。

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彼は一番左の人。

戦争がはじまり、新宿で飲んで、別れた友人達も戦死したようです。
その時の詩も自分死を見つめた詩も思わず涙が出る



どうして230万人の日本人が死ななくちゃいけなかったんだろう。

その時代の正義があった。

どうして日本人が罪のない人達を殺さなくちゃいけなかったんだろう?
それが戦争だから。
そしてその時代のその国の正義があったから。

たぶんそうなのだろう。

でも、ひとり、ひとりは、どんなに苦しんだか。その犠牲を超えるほどの正義はなんだったんだろう。

他に道はなかったのか。
もう少し全員が冷静になれなかったのか。

落ちついて、は弱気に聞こえるけれど。
威勢の良い強さはかっこよくみえるけれど

でも、歴史をみれば、世界中どこでも、犠牲になるのはふつうの弱い人たちで。


「おちついて」と骨が言ってる気がしました。  
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2016年11月28日

仕事で一番価値があると思ってるところ

ずっと、働いている。

どんな辛い時もやめる気がしない。
色々あるけど、「あぁ、仕事してて良かったなぁ」としみじみ思う瞬間があるから。

仕事は、なんだか学生の時の文化祭に似ている気がする。
時間内に最高のものを作り上げるために人と協力して努力して頑張るところ。そこで、うまくいかないことや、失敗を乗り越えて、友人ができる。

人は大人になると、新しい友人関係がを作る機会が極端に少なくなる気がする。私の性格が内向的だからかもしれないけど。特に、自分と違う、タイプの人と友人になることは何かの作業がなければ、なかなか叶わないなぁ、と思っている。


でも、仕事だと、意見を戦わせたり、うまくいかなかったり。何かしらの困難な壁が現れるので、相手とコミュニケーションをとらざるをえないし、そこで素顔が見えかくれしやすい。

先日、自分とは、気があわない印象と思った人と(色々あり)仕事をすることになった。(笑)

お互い知らない同士なので、探りながら話をする。

かなり時間が経ってから、ある時に、ふと私たちは、好きな本が同じだということがわかった。

オノヨーコのグレープフルーツ・ジュース。

グレープフルーツ・ジュース [ オノ・ヨーコ ]
グレープフルーツ・ジュース [ オノ・ヨーコ ]



すごく驚いた。

それは、私の中で、彼がこういう本を好きであるという印象がなかったからなのだけれども。
人はやはり時間をかけないと、奥底にあるものは、わからない。

「よ〜こさん、燃やした?」

「え?」

「この本を燃やしなさい、読み終えたら、って最後に書いてあるでしょ?」

「燃やしてないよ」

「ダメだよ。燃やさなきゃ」


それから、なんだか、打ち解けた。

グレープフルーツ・ジュース理解できるなら、ここまで話してもよいだろう。とお互いわかったのだと思う。深い話も、するようになった。プロジェクトもうまく進んでる。

友人になってないだろう、と思う人と、信頼関係ができた時は、ことさら幸せだと思う。それはつまりは、自分が決めていた枠を広げてもらったわけだから、ありがたいと思う。


今まで、働いていて、こういうことが何度もあった。その度に尊重しあえる人が増える。


仕事に求めているものは、肩書きでも、キラキラした賞や賞賛とか残る成果物でもなくて。例えば、昔プロジェクトした人と、あの時、めちゃくちゃだったよね〜、と言いながら、そうだそうだ、と笑いあえる時間とかが、何よりの働く醍醐味だと思ってる。

一番楽しいのがそこだと決めているから、問題が起きても、壁があっても大丈夫。


そんな、履歴書にも残らないことを、一番大事にしてる。

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2016年11月04日

ゆずれること、と ゆずれないこと。

私は譲歩する。
仕事で怖いと思われているらしいけれど、実はかなり譲歩する。

「ゆずる」は強さだ、と思う。

相手を立てる。自分が負を引き受けて、物事を前に進ませる、そうできた時の余韻が心地良いことも知っている。

ただ、引き下がらない時がある。100の中で1ぐらいしかないけれど、これだけは、折れたらダメだという事項は(直感)でわかる。

それをやってしまったら、結局は凧の糸が切れたように、まわりもダメになってしまう。

どんなに言葉に飾りをつけても、ダメなものはダメだ、と思うことがある。それがたとえ都合が悪くても。多大なお金を失っても。自分に不利でも。心の直感を信じる。

そして誠実に説明する。それでも、わかってもらえないかもしれない。それでも、譲らない。
なぜって、それが、その人の尊厳であり「哲学」じゃないか、と思っているからだ。

私がもし、仕事で信頼されてるとしたなら圧倒的に自分が不利になっても、(ここだけは譲らない)という信念があることを皆が知っているからだと思う。


10月28日「核兵器禁止条約」に世界で唯一の被爆国である日本が「反対票」を投じた。
国連委決議、日本反対のニュースは世界をかけめぐった。



「核なき世界」は単なる理想だよ。
他の国がやってんだから、地下に潜るだけだよ。
それに賛成しても何の効力もない。
核廃絶を呼びかける決議はうまくいったじゃないか。
ロシア領土返還の交渉を有利にするため仕方がない。





それでも。
それでも、そう言ってしまったら、そういう色々な力に屈したら
そこに、国としての「尊厳」がなくなる。と思う。

たくさんの(大人の事情)があるのだろう。
譲ることが大事な時もあるだろう。


けれども。

これだけ、矛盾する苦しい世界で、それでも大人がまっすぐに理想を、尊厳を持っていないなら、子供たちは一体どこを向いて生きていけばいいのだろう。

心の奥底で静かに考えたら、これだけは、やってはいけない、と思うことは自然に見えてくる。

日本は、交渉相手に静かにこう言えばよかったと思う。

「私たちには広島と長崎があります。死者数は約34万人。その苦しみをまだ背負っています。申し訳ない。核兵器を禁止しようとする条約に日本は、反対はできない。棄権させてください」

その苦渋の「尊厳」は必ず相手に伝わったと思う。




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参考ニュース 東京新聞 核禁止条約 交渉開始へ  国連委決議、日本反対
  
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2016年10月23日

完璧よりも美しい

編集を担当してくれた米田さんから連絡。
「結婚のずっと前、14版が決まりました!また増刷です。」
この本、5年前に出版したのですが、久しぶりに表紙見てたら、当時のこと思い出しました。

この表紙の花なのですが、近所の花屋さんに「枯れた花が欲しいんですけど〜」って買いに行き
「これ売り物にならないから差し上げますよ」ってもらったものなのです。

薔薇にこだわってたわけではなく、その日枯れかけてる花がたまたま薔薇だっただけ。(苦笑)

山のように頂いた枯れた花を選びながら家の床に並べて、写真家の野寺さんに撮ってもらいました。「女性誌とかたくさん撮ってるけど、洋子さんの使う色って大胆で、日本人ぽくないね」と指摘されたの覚えています。

表紙を開いて裏を見てもらったらわかるのだけど、花びらに穴が開いてたりするのもある。シワが寄ったり、形が崩れてたりしています。

「完璧でなくても美しい」っていうのが、意図でした。




だけど、ほんと、人との関係は、好きであればあるほど情けないほど完璧からほど遠〜い感じで、もがいてるって気がしません? 失敗したり、間違えたり、まわり道したり。

でもその(もがく感じ)って、実は(完璧な状態)より人生、美しいんじゃないかって。

だから、5年たった今、「完璧でなくても美しい」じゃなくて、なんだかなんでもパーフェクトじゃない方が(完璧よりも美しい)と、そんな感じで色々考えてました。

この本、大事に思ってくれてる人がたくさんいるの、嬉しいです。
ありがとうございます。


結婚のずっと前 [ 坂之上洋子 ]
結婚のずっと前 [ 坂之上洋子 ]






  
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2016年10月18日

黒石写真コンの「波風を立てない方がいい」について

内定一転 最高賞取り消し/黒石写真コンテスト、被写体に自殺中学生
このニュースを見た時に、私、条件反射のように反応してしまいました。
「波風を立てない方がいい」ってなんなの。と。

撮影した人は被写体を全く知らず、最高賞になった後に分かったこと。
生きていた時の娘の写真が最高賞に選ばれたことをみんなで喜んだ家族。それなのに賞取り消しの知らせ。

家族は突き落とされた気がしただろうと安易に推測できます。それは、まるで、もう一度いじめに遭っているような。失礼すぎる。親の気持ちを考えるとやるせない気持ちになりました。

そうい親「個人」の痛みを優先せずに、「村」「社会」?を乱さないことを優先する風潮が嫌だ。そんな感じがこの記事からして身震いし、思わずSNSに、投稿しました。「これなんなの?」と。

でも、なぜか私はこの記事のことが頭から離れず、夜遅くまで考え込んでしまいました。

石黒市は3万人少しぐらいしかいない地域のようです。そういう中で、中学生が自殺する。きっと地域で、かなり大きな事件です。

近所でも学校でも職場でも、それこそ、あることないこと全て語り尽くされているでしょう。

そういう中で、自殺した女の子の近くにいた同級生たちの何人かは
「どうしてあの時に、自分は一言、声をかけられなかったんだろう」「自分はどうしていじめている子にやめようと言えなかったんだろう」いう罪悪感でさいなまされているかも知れません。

いじめの言葉を発した子に至っては、きっと一生忘れることができない何かを背負ってしまっていると思います。そんなつもりはなかった、とか、あなたは悪くないと言われても、自分たちの言葉で人を死なせてしまった事実は消えません。


どう気丈に振る舞っていても、11歳、12歳、13歳。。。です。


私は、祖母が自殺しているので、自殺した人がいる家族の気持ちが痛いほどわかります。その悲しみは世代を超えて伝わります。

同時に、自殺の原因になった可能性があると思われている人が、人生が狂うほど、きつい思いをするのもわかります。。裁判で裁かれないかもしれないけれども、罪は消えない。制裁はもう受けていると思う。そしてこれからも受け続けるのだと思う。

その写真は、撮影者の男性は生徒と面識はなく、偶然8月15日に撮影。生徒は同25日に亡くなったそうです。写真も亡くなる前に応募したんだそうです。そしてそれが最高賞。まるでドラマのような奇跡のような偶然です。

それが奇跡であるほど、もう一度街の大きなイベントの最高賞という形で、騒ぎになると、なぜ死んでしまったの?なぜ止められなかった?と先生や学生、周りの人たちも、精神的に追い詰められてしまうかもしれない。


私自身も反射的に、取り消しは変でしょうと思ったからこそ、伝えたかったのです。

自殺した人は苦しい。そして残った家族はもっと苦しいです。そして同時にまわりにいた人も苦しいんです。そして最後の苦しみは、限りなく見えにくい。

だから今回の判断、考えれば考えるほど私にはわからなくなりました。

(追記*市の記者会見見ました。なんだか色々ため息でますね。。)

ただ、それでも、私はまるで審判員のように正義を振りかざしSNSで、波風を立ててはいけなかったんだと思う。

反射神経で何かを言うことは、いじめをする子と同じだと思った。
短くても言葉は暴力になるから。


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2016年10月13日

イベントのお誘い!世界ポリオデー・アート・フォーラム

毎年10月24日の「世界ポリオデー」を記念して「世界ポリオデー・アート・フォーラム 2016」を開催。

アートとファンドレイジングについて。ソニー・デジタルエンタテインメントの福田社長と私の対談予定です。アットホームにやろうとの企画でレセプションもあるので和やかな感じになるんじゃないかなぁと思います。

また水墨画家 土屋秋恆氏によるワクチン即興水墨画作品生制作!福山雅治さんのアサヒビールCMや安室奈美恵さんのPVなんかもやってた大人気墨絵師が目の前で書いてくれるですよ〜。
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【世界ポリオデー・アート・フォーラム 2016】
◇日時:2016年10月25日(火)19:00〜21:00
◇会場:アンカースター株式会社ラウンジ
(東京都港区西新橋2-21-2 第一南桜ビル6階)
◇主催:一般社団法人ジェイ・アイ・ジー・エイチ(JIGH)
◇協力:ビル&メリンダ・ゲイツ財団
世界の子どもたちのためにポリオ根絶を目指す議員連盟
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◇言語:進行は日本語です
◇イベントプログラム:
・福田淳氏と坂之上洋子によるトークセッション
“アートとワクチンの力、ファンドレイジングの歴史”
・水墨画家 土屋秋恆氏によるワクチン即興水墨画作品制作
・レセプション

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まぁ、なんか私が出るとゆるく(誰でもわかりやすい話にw)なるのはみなさんご存知の通り。
実はソニー・デジタルエンタテインメントの福田社長は私よりも輪をかけてゆるいので、楽しい会になるかと思います。気軽にいらしてください。

本にもサインするので遠慮なく声かけてね。

◇ 参加申込:こちらのフォームに必要事項をご記入の上、お申し込みください。(申し込み人数が多い場合は抽選になります)




  
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2016年10月05日

ゲイやレズビアンの人たちの苦しみ

NYで建築の仕事をしていた頃、同僚にレンというゲイのデザイナーがいました。レンはハンサムで身体も鍛え上げていたので、超かっこいい。

ある時に2人で残業してたレンに、私つい「ねー、女じゃだめなの?」って聞いてしまった事がありました。

その時にいつも明るい彼が一瞬とても苦しそうな顔をしたのです。
それから、ぽつり、ぽつりとこんな話をしてくれました。

僕は南部出身でしょう?子どもの時から男らしく見えるように努力してたんだ。
ティーンエイジャーの時、ゲイじゃないかと言われてね、違うと言わなかった事が原因で袋叩きになってね。気持ち悪いと殴られたんだ。彼らの仲間の誰かをを好きなわけでもないのにさ。

20歳で、親に正直にゲイだと言ったらさ、母親からやめてくれと泣かれてね。

好きな相手が同性だった。それだけで、まるで犯罪者かというような目で見られてきたんだ。ニューヨークに来るまで地獄だった。

「ゲイってことやめれるなら、俺が一番最初にやめてる」

15年くらい前の出来事です。でも本当にその時のこと鮮明に覚えてます。
レンがじっと床見てて。私も彼の悲しみを共有しました。友情が深まった瞬間でもあったんだと思います。

人を好きになる。その自由で尊重されるべきことで苦しんできた人がいる。そういう苦しみを、ゲイの人に差別はなかったつもりだったけどやっぱり全然わかってなかったんだな、とその時、心から反省しました。

レンは長年連れ添った人今も幸せに暮らしています。


日本にも(最低限の)LGBT法案を通したい、とゲイの友人からお願いされて、私も賛同して発起人になりました。今、理解されず反対されてる人も多くいるのが実情です。法案も通るか通らないかぎりぎりのところだそうです。

一人でも多くの署名があれば、法案ができること、後押しされると思います。

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世界に誇れる日本へ!LGBTへの差別をなくして、「ありのままの自分」で生きやすい社会を実現する、法律をつくってほしい!

苦しんで自殺するような人がもう出ませんように。
  
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