昔紹介したことがあるので、覚えていてくれている人もいるかもしれません...
プラ子ちゃんという人に実は私は一度も会ったことがないのです。
彼女は私が朝日新聞Asahi.comに英語のコラムを連載していた頃からのファンだったそうです。そして、ある日私の書いたエッセイの本「犬も歩けば英語にあたる」を持って、旅に出かけた。。。と頂いたメールに書いてありました。
プラ子ちゃんは、もともと、渋谷の109の店員さん。目一杯おしゃれをする生活だった彼女。旅の途中から、HIVの施設でボランティアをはじめます。
そんなごく普通の日本人の彼女が感じたことを綴る日記。
ミクシィだけで書かれていたのですが、あまりにも心を打つ内容でしたので、それを私は沢山の人に読んでもらいたいと思いました。そしてふじもと君が賛同してくれてふたりで
ブログにあげました。
プラ子旅する。---ただいまアフリカでボランティア中
以下は、その一部です。
【ペットボトルのこと】
2007.04.27 Friday
エチオピアの施設をでてから、 自分が飲み終わった後のペットボトル、 捨てるとき少し心が痛みます。
施設では みんな水道の水を ペットボトルが支給されて その中にいれて使っています。
そのペットボトルも 使い古しのもので 10年前から使ってたんじゃないかって
いうぐらいぼろぼろの カビがたくさんの ペットボトルをみんな大切に使っています。
自分の持ち物は その支給されたペットボトルと 支給された靴だけの子が 多いです。
なるべくあんまりに恐ろしい ペットボトルの子は変えてあげるように 自分や他のボランティアの子が 飲み終わった空のペットボトルを集めていました。
アディスはどうだったか覚えていませんが、他の町にいくと ボロボロのペットボトルなのに たくさん売られています。
みんなそれを買って水を入れたり大切に使っています。
ビニール袋も一緒です。みんな、ご飯のときに具合が悪くて、 たべれなかったりすると ビニール袋にあけてとっておいて後で食べています。
日本のビニール袋みたく頑丈でいいやつではなくてすぐ破けてしまう感じの
ものですがみんな何回も何回も洗って大切にしています。
破けてもその部分を自分の髪の毛で上手にしばったりして使っています。
電車に乗っていたときも電車が壊れたり、途中の小さな駅で止まったりしたときに
電車の外にいるぼろぼろの服をきた はだしの子供たちが一生懸命
「コッポーコッポー」って叫んでいて
「コッポーって何?」って友達にきいてみると、
「空のペットボトル、みんな欲しがっているんだよ」 って教えてくれました。
エチオピアをもう出てしまったけどこのペットボトルがあれば、あの子、喜ぶだろうなぁ・・。とか思っています。
マラゥイは意外に停電します。 エチオピア並かもしれないです。
でも町は思ったよりきれいで、人も穏やかなかんじです。
【老人のような女の子】
2007.04.26 Thursday
上の階の病室に、ブルトカンとういう20歳の女の子がいました
窓のすぐしたのベットでいつ見てもぐったりしていました。
体は本当にやせ細って、とても小さく、頭髪は抜け落ちて肌はすべて干からびた状態のようになっていて、目はうつろで。つばを自分で飲み込むのも辛そうでした。
あんまりにひどい状態で。
こういう子の場合、本人もだいたいの自分の年齢わかっていますが、かろうじて
話してくれる小さな声のトーンで、この子がまだ若いんだってことが私もわかります。
とても小さなかわいい声で、
「チャラカーお砂糖たっぷりのあったかいチャイが欲しいの。」
ってがんばって声を出して教えてくれる子でした。
常にひどい下痢と、嘔吐をしていて自分で立ち上がる力がなく、カルテには、HIVポジティブの可能性があるため血液検査をさせるようにと指示がかいてありました。
いつもぐじゃぐじゃに下痢をしていて布かえて。って自分からは言わず、私がくるのをずっと待ってくれていました。
私が、「排泄したあと、すぐ呼んでくれれば布すぐ変えるからね。 気にせずいつでも呼んでね。」
っていつも伝えていたのですが、
「チャラカ たくさんお仕事あるもん。私大丈夫だよ。」
って答えがいつも返ってきて本当に優しい子で。
私だったらすぐ変えて欲しく我慢できずにいると思うのに・・。
ドクターを探して、ブルトカンがまだ血液検査を
うけにいっていないことを伝えました。
ドクターが、彼女はもうすごく弱っていて、みんなで持ち上げて手伝っても、もう車いすに乗っているだけの体力すらないんだよ。どうしようもないよ。と言いました。
こういう子を見るたびに、神様はどうして。。っていつも思ってしまいます。
この子がふとした拍子に私のおへそにあいている109のショップで店員をしていたときに強制的に開けさせられたヘソピアスをみつけて触るのが好きな子でした。
この子と同じ20歳の頃、私は何をしていたかなって思いました。
東京の短大って響きにあこがれて入った卒業さえできればいいやーって感じで短大にいって、また響きにあこがれて渋谷の109の人気のあったショップに就職して、週3回日サロ通いが社訓で、いかに黒くなるか、次の髪のエクステはどんなのにするかとか彼氏のこととか、遊びにいくことばっかり考えていて自分の日常のことだけで、
死と向き合ったり、貧しい国の人たちのこと真剣に考えることもそこまで多くなくて。
どうして神様はここまで違う人生を・・って思ってしまいます。
この子が何をしたっていうんだろう・・。
ブルトカンは、いつも私がグラブ(手袋)なしでブルトカンに触ろうとすると
どんなに苦しんで痛がっていても
「チャラカ、グラブ グラブ 」
って私への感染をすごく気にかけてくれて。
トルナシもそうでした。
トルナシも口のまわりの損傷もひどかったため言葉を出すときに痛みがあったのに、
でもいつも 「チャラカ グラブして。 チャラカにうつっちゃう。」 って言って。
グラブがなくなってしまって遠くの病棟にあるときでも私がグラブ持ってくるのまっていてくれていました。
他の患者さんも自分の損傷部分からでている臭いを気にして、
「チャラカマスクして、私、臭くてごめんね。。」って。
そんなときいつも、
「臭くないよー。私の頭のが臭いんだよーこんなに長いくせにしばらく洗ってないもん。」って冗談ぽくいったりしてました。
ブルトカンは、たくさん痛みに耐えてがんばっていましたが、数日後、静かに息をひきとりました。
亡くなった後のことは、やっぱりわかりませんが、天国があったとしても、来世があったとしてもいつもいつも思うことですが、
たくさんたくさん苦しんで、悲しい思いもたくさんした分、どうかこの子たちが、たくさん笑顔で幸せでありますようにって思うばかりです。
続きを読んでぜひ彼女にコメント入れてあげて下さい。今はネット環境の良くないところにいるようで、返事はできないかもしれませんが。
続きはまた明日。