ま〜たくサッカー観戦に興味ないよ〜こさんですが。
日本人の観戦した人たちの一部が、スタンドを掃除してる様子が、世界で絶賛されているという話がでまわっていますよね。
中国でもトップランキングニュースになっていて、中国人の友人からも
「やっぱり日本人はすごいよ」
と全く関係ない私まで褒めてもらい、なんだか、てへっ
、て嬉しい気持ちになりました。
で、今日は、これって、そもそも国民性なのか、という話をしてみたいと思います。
かなり前ですが、椎名誠さんと食事しながら「トイレを綺麗につかうかつかわないかは国民性によって違うのか」とか「どの国のトイレが汚いか」という全く会食時に話すべきででない話でもりあがったことがありました。。苦笑
でね、その時も、日本人は根っから、綺麗好きなのか、そもそもそれは、国民性なのか。または教育なのか、って議論した記憶があります。
その時にもお話したのですが、私米国に住んでいた頃に衝撃的だった話があるのです。
それは、全国放送のトークラジオを聞いてた時のこと。トークラジオというのは、司会者が毎日いろんなことについてどう思う?と聞いて、リスナーが自分の意見を電話してくるというもの。
ある日、
「日本って小学校と中学校って全員で掃除するらしいんだ。トイレも子どもたちが掃除するらしいよ。それって、素晴らしくないか?この習慣、米国もマネするといいんじゃないか?」
ってテーマ。
うわ、日本の話だって私嬉しくなって。。。。いつも右と左で意見がまっぷたつに別れるトークラジオですが、さすがにこれは、皆同意すると思ったのです。
でも、電話してくる人、ほんとに全員が、
「冗談じゃない。
家の子に掃除させるなんて」とか
「掃除夫にさせる為に学校に行かせてるんじゃない」
「
掃除する時間あれば勉強。学校は勉強する場所だ」
「用務員の職を奪う気か?」
そういう意見ばかりで、ほんとびっくりしたのでした。
その時にね、日本がね、基本的に、駅も公衆トイレも綺麗なのは、小学校の時から全員で掃除するからで、そして、ここが大事な点なのだけれど
日本は、掃除をする人を雇うお金がないから子どもに掃除をさせているわけでない。ということに気がついたのです。
日本で、掃除は子どもたちの
「人格形成」として位置づけられています。
そして、日本では、掃除を丹念にする人、真剣にする人、一生懸命する人は、大人になっても尊敬されている。
サッカー場で「ゴミを拾おうよ」と言って、OK!とたくさんの人が素直にそれに参加できるのも、子どもの時からそういう教育を私達がうける事ができたから。そして、真摯に掃除をする人を「尊敬」することをみなが素直にうけいれる国だから、成り立っているわけです。
このエントリを書くにあたって、掃除の歴史を検索してみました。
お掃除道具の歴史
日本に掃除を持ち込んだのは、禅宗で、それは6世紀はじめにインド人の僧・達磨(だるま)が中国に伝え、日本には鎌倉時代(13世紀)に中国(当時の宗)経由で伝えられ盛んになりました。
「一掃除 二座禅 三看経(かんきん)」と言われるほど、禅寺での生活は「なにはさておきまず掃除から」が基本となっています。ぞうきんの素材は麻などで、長い木柄の先につけて使っていました。
ぞうきんのことは、禅宗の用語を用いて「浄巾」(じょうきん)と呼ばれていました。
↓
そして江戸時代一般の家庭の子どもたちは、「寺子屋」という、今の小学校のようなところで、文字の書き方や計算などを勉強していました。寺子屋では掃除は重要な日課とされ、当番制で行われていました。
それから、昭和では、
松下幸之助が、トイレ掃除する話は有名ですよね。トイレの便器を磨くCEOが、そのままの精神でツッコンでこられたら、そりゃ世界中どこでビジネスしても負けなかっただろうな、って、思います。苦笑
「掃除」ひとつとっても海外からの教えや歴史や成り立ちがあって、それをいろんなカタチで取り入れ、教育があり、文化になり。。。そして今の日本人の行動様式があるのです。
自分のことだけでなくまわりも綺麗にすることを、いとわない大人が、多くいるってことは、偶然でなく、いろんなことの積み重ねであること。
それを世界中の人に褒めてもらった。すごいって思ってもらった。
それについて、私達は謙虚な気持ちで、今までのこの文化を昔から受け継いできてくれた数えきれない人達に頭を下げる気持ちで、「ありがとうございます」って、言えばいいんじゃないかな。
堂々と、ね。