2014年12月10日、ノーベル平和賞の授賞式がノルウェーのオスロで開かれ、史上最年少の受賞となったパキスタン人のマララ・ユスフザイさん(17)と、インドの人権活動家であるカイラシュ・サティヤルティさん(60)にメダルと賞状が送られました。
「世界のたった一週間分の軍事費があれば、すべての子どもたちを学校に通わせることができるのに、そんなお金はないという世界を、私は受け入れることはできません」
そう語る児童労働に反対するグローバルマーチ代表カイラシュ・サティヤルティ氏のノーベル賞受賞のスピーチの一部を抜粋。(
翻訳 ACE のホームページから)
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私は声なき人びと、無実の叫びをあげている人々、そして、顔なき人々を代表してこの場に立っています。
20年前、ヒマラヤのふもとの丘で小さな痩せた少年に会いました。彼は私に尋ねました。「ボクにおもちゃや本を与えるのではなく、作業道具や銃を押しつけなければならないほど、世界は貧しいのでしょうか?」
過激派の民兵に拉致されたスーダンの子ども兵に会ったことがあります。彼は最初の訓練で、自分の友達や家族を殺すよう命じられました。彼は私に問いかけました。「私の何がいけなかったのでしょうか?」
12年前、コロンビアの路上で人身売買され、レイプされ、奴隷にされた幼い母親が、私にこう問いかけました。「私は夢を持ったことがありません。私の子どもは持てるのでしょうか?」
子どもたちの夢を否定することほど、大きな暴力はありません。
私の人生にとって、ただひとつの目標は、すべての子どもに「自由が与えられる」ことです。子どもらしく成長する自由、食べることができる自由、眠ることができ自由、太陽の光を浴び、笑ったり泣いたりし、遊んだり、学んだり、学校に行く自由、そして、夢を見ることができる自由です。
全ての偉大な宗教は、子どもたちを慈しむよう教えています。イエスは「わたしの元に子どもたちを来させなさい。それを妨げてはならない。天国は子どもたちのものだから。」と言いました。
またコーランには「貧しさのためにあなたの子どもたちを殺してはならない」とあります。
それなのに、どの寺院やモスク、教会、礼拝所にも子どもたちの夢を受け入れる場所がないことを、私は受け入れることはできません。
世界のたった一週間分の軍事費があれば、すべての子どもたちを学校に通わせることができるのに、そんなお金はないという世界を、私は受け入れることはできません。
法律や憲法、裁判官や警察が子どもたちを守ることができないこの現状を、私は受け入れることはできません。
私は、自由を追求することよりも、奴隷制を維持する力の方が強いという現状を受け入れることはできません。
I REFUSE TO ACCEPT.
私はこれらの状況を、断じて受け入れることはできません。
私には、私と同じように、このような現状を受け入れることを拒否し。共に行動するたくさんの勇気ある仲間たちがいます。われわれはどんな脅迫や攻撃を受けても、決してあきらめることはありません。
まちがいなく、この数十年間で、明らかな進歩が見られました。
学校に通えない子どもたちは半減しました。乳幼児死亡率や子どもの栄養失調も減少し、何百万人もの子どもたちが命を落とさずにすみました。世界の児童労働者数も3分の2まで減りました。しかし、間違いなくまだ大きな課題が残っています。
みなさん、こんにちの人類が直面している最大の危機は「不寛容」です。
18年前、103ヶ国の何百万人もの仲間たちが8万kmを行進しました。そして、児童労働に反対する新しい国際法が生まれました。私たちはこれを成し遂げたのです。
マーチの翌年、児童労働を禁止する条約「最悪の形態の児童労働条約」が採択されました。
あなたは「たった一人の人間に何ができるのか?」と言うかもしれません。
私が子どもの頃に聞いたお話があります。森で恐ろしい火事がありました。森の王者であるライオンを含め、すべての動物たちは逃げ出しました。
その中で小さな鳥が火に向かって急いでいることにライオンは気づきました。ライオンは鳥に「何をしているんだ?」と聞きました。驚いたことに、鳥は「火を消しに行くのです」と答えました。
ライオンは笑って言いました「くちばしで運ぶ一滴の水で火を消せるわけがない」。鳥はきっぱりと言いました「でも私は私にできることをしているのです」。
私たちは急速なグローバル化の時代を生きています。高速インターネットで繋がり、モノやサービスをグローバルに取引し、毎日世界のすみずみまで飛行機が飛び回っています。
その一方で、深刻な断絶が一つあります。思いやりの欠如です。一人ひとりの思いやりの心を育み、それを全世界的な運動に変えていきましょう。思いやりを世界に広げましょう。受け身の思いやりではなく、正義、平等、自由へと導く、変革をもたらす思いやりです。
マハトマ・ガンジーは言いました。「もしも世界に本当の平和を教えるなら、子どもから始めなければならない。
デブリ(Devli)は、インドで何世代にも亘り債務と強制労働を課された家族の元に生まれました。8歳の少女デブリは救出された時、車の中で即座に、「なぜもっと早く来てくれなかったの?」と、私に言いました。
彼女の怒りの問いは、今でも私の心を揺さぶります。そして、世界をも揺り動かす力を持っています。彼女の問いかけは、我々全員に向けられているのです。
なぜもっと早く助けることができなかったのか?
一体何を待っているのか?デブリのような子どもをあと何人救出せずに放っておくのか?あと何人の女の子が誘拐され、閉じ込められ、虐待されればよいのか?世界中の、デブリのような境遇にある子どもたちはみな、何もしないわたしたちに問いかけ、私たちの行動を注視しているのです。
私は、子どもたちを取り巻く消極的な態度や悲観的な見方に異議を唱えます。沈黙し、どっちつかずの態度を取り続ける世の中の状況に異議を唱えます。
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このスピーチで、私が気に入ってるのは、この部分 ↓
ライオンは笑って言いました「くちばしで運ぶ一滴の水で火を消せるわけがない」。鳥はきっぱりと言いました「でも私は私にできることをしているのです」。
私は日本の子供の貧困問題やその他色々な難題に取り組んできました。今まで、何度も自分の力不足に苦しくなることがありました。問題があまりに複雑で大きく、それに圧倒され、もうどうせ自分がしても何も変わんないのだからやめちゃおうか、と思うこと正直何度もありました。
でもゼロよりも、この鳥のように「でも私は私にできることをしている」小さいかもしれないけれど何かしている、前に向かってもがこうとしてる。それが実はものすごく大事なんだと今は思っています。
問題を前に、もがく大人が多ければ多い社会ほどいい。
たとえ問題が解決中途であっても、立ちふさがるような、まるで壁のような問題を、それでも、なんとかしようと、もがく大人をみて育った子供たちは、ただ目をつむっている大人を見て育つよりも、なにか支えを得てるんじゃないかと思います。(そう思いたい〜、かな。)