2017年06月25日

挑戦と冒険

思わず、ため息が出るほど美しい写真を撮る人に出会いました。
彼は、西安出身の中国人。日本で働きながら、東工大で論文で博士号をとったんだそう。

その後、彼は日本の企業のシンガポールの支店の立ち上げを任されたそうです。その時の仕事はうまくいき駐在待遇だったので給料が2千万円ぐらいあったそうです。

でも、どうしてもアメリカでトライしたいとの思いから、そんな良い待遇でうまくいっている会社をやめても、ゼロからのスタートで渡米することを決心。

でも会社を辞める決心を言った時に、日本人も中国人も友人全員が、気が狂ったのか。と大反対したそうです。

誰にも賛成してもらえないまま、彼はシリコンバレーにいきます。
で、ゼロから作った自分の会社を上場させたそうです。
(ストーリーが色々すごすぎなんで、割愛)

そして今、中国に戻り工場も作り、今度は中国で新しい会社を展開中。

趣味は冒険旅行で、世界中を旅しているそうです。

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彼にため息がでそうな写真をたくさん見せてもらいました。

でも、写真見ながら、「あ、ここ北極で車が雪で動かなくなり死にそうになったんだ」とか。
「前の車が白熊に襲われそうになった」とか。苦笑


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パラオの海でサメに出会ったこと。南極と北極の違いや、アフリカはナミビアがいいとか「日本語を久しぶりに話しました」という彼の話しに聞き入ってしまいました。

会社を起こすことも困難や見えない道がたくさんあるところを切り開くわけで、「自分には無理:って、止めるのは、いつも自分の頭の中にある壁なのだよなぁ、と思える出会いでした。

しかしそれにしても起業する人は冒険好きよね。。。私も、安定志向ではないし、いつでもゼロに戻れるという自負があるのですが。こんな断崖絶壁のところにいきたいとまでは。。。。
思えないかも。(ノ`Д´)ノ

いや、単に自分の頭の中をオープンにすれば、いいだけ。よねw

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Posted by tentenwang at 10:16Comments(0)TrackBack(0)

2017年06月24日

目に見えないもの

友人の猫が死んでしまい、使っていたブランケットを見ては、何度も「まだそこにいる」ような気がするのです。って言ってました。
ペットは、家族と同じだと思います。だからその気持ちが、痛いほどわかります。



そんな話を聞いていて、ふと母の亡くなった後の不思議な出来事を思い出しました。

母は癌で亡くなったのですが、実は妹は海外で留学中で死に目に会えませんでした。彼女が戻ってきた時、実家はすでに菊の花に包まれたお葬式の用意が整っていました。
妹は知らせが遅かったことを怒っていました。

「死」というものをまじかに見た経験がなかった私には、母がもう死んでしまうようには、みえなかったのです。

彼女の悲しみはそれはそれは深いものがありました。
自分の部屋でうずくまって震えて泣いていました。
私は私で、まだ学期途中だしとか、母はなぜだか死なないと信じていて、早く帰ってきてもらうという判断がなぜできなかったのか、自分の落ち度に苦しみました。

お葬式が終わった日の夜に、妹の部屋の縁側に小さな猫がきました。野良猫だと思うのですが、子猫で、可愛くてずっと縁側でにゃあ、にゃあ、泣くのです。
私たちは、その子が可愛くて思わず、ミルクをあげました。

猫は頭がはげていて、まるで抗がん剤で頭の毛が亡くなった母のようだと私たちは苦笑しました。


愛らしい猫は、次の日もその次の日も縁側に逃げもせず、ずっといました。
「ミルクをあげたからだね」
妹や私たちはその突然の愛くるしい野良猫を見てくすり、と笑うようになりました。
そしてからだなでてあげたり、妹はキャットフードの高級なものを買ってあげたりしていました。
「そんなことしたら住みついちゃうよ」
そう言いながらも、私もその子を見て穏やかな気持ちになりました。

それから初七日の準備や葬儀の支払いや後片付け、長女として、やらなければならないことで目まぐるしくすぎて行きました。あまりにも雑用が多く、また自分も悲しみにくれており、妹にも気を使ってあげることもできませんでした。
その間、縁側にその子猫はずっといて、私たちは猫をなでては、ちょっとだけなごむのでした。

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そして、初七日が終わった日に、子猫は突然いなくなりました。

私たちはパニックになりました。交通事故にあったのではないか。保健所に連れて行かれたのではないか。そこらじゅう、探し回りました。
餌も毎日あげてたんだから、戻ってくるよ。
私たちは、慰めあいました。

それでも、その猫は戻ってきませんでした。

私たちは愕然としました。猫を飼ったことがなかったので、あの人懐っこさは、ペットの猫だったのかもしれないよねとも言いました。家に戻ったのかな、と。
ふと私が言いました。

「あれは、お母さんだったよね」
「うん。。。」
「写真とればよかったね。。」

私はスピリチャルなことを信じない現実主義者なので、ただの偶然だろうな、とも思っています。
でもあの子猫のおかげで、私たちの心が癒されたのは確かです。

(母がきてくれたじゃないかと私たちがそう思ってしまう)ほど、私たちは愛されたということなんだろうな、と。

「愛」という目に見えないもの。

今、苦しんでいる友人の心が癒されますように。

  
Posted by tentenwang at 10:08Comments(0)TrackBack(0)

2017年06月21日

コンプレックス

自分背の高さにかなりのコンプレックスがありました。

昔、背が低い人を好きになったんですが、その人よりも、背が高かったので、最初から相手にされない感じでした。

モデルさんみたいに細いわけではないので、サイズが合わなくて着れる可愛い服もないし。

何よりも、思春期の頃、いろんな人から、醜い、でかい、蜘蛛女、巨大、とからかわれたりした事から根強いコンプレックスはきてるのかなぁ、と思います。

ティーンエイジャーの時に、好きな人に相手にされない程度ならしかたがないとも思うのですけど、いろんな人達から「巨大」「でかいな〜」って言われるのはたぶん相当きつかったんですよね。

でものちに、アメリカに行ったことで、サイズがあう服があるようになって、「別に私、そんなに巨大でもないのかもしれない」って事で、そのトラウマは徐々に消えていたと思っていました。

でも、小学生の娘がどんどん背が伸びてきたころ、突然、私はパニックになりました。

「ぎ、牛乳飲まないほうがいいんじゃない?」
「睡眠時間長すぎなんじゃない?」

背が高い=醜い

忘れていた自分のトラウマが思いきり降りてきたような感じでした。

娘は、生まれたときからアメリカの病院でアメリカ人の平均枠を超える「長身」と言われたことも心配を増した理由の一つにあったのかもしれません。

そして「どうしよう」って不安な感じが、ちょっとした(ため息)だったり、意識していない、(ひとこと)だったり、いちいち態度に出ていたらしいいのです。

そんな時に、普段、何にも言わない夫が、
「ね、お願いだから、背のことについて娘が卑屈になるようなことを言わないで欲しいんだけど」
といつもになく厳しい顔で言ったんです。

「僕は彼女が180cm以上になってもいいと心の底から思っている。そのことで、本人にコンプレックスをもってもらいたくないんだよ。背が高くて何が悪いの?」

私は慌てました。

「だって.....。しかたないのわかってる。わかってるけど1cmでも低いところで止まってくれたらって。あの子が誰からも愛されないかもと思うと心配になる」

そう言う私に夫がやさしく言いました。
「あのね、そういうの根本的に、問題はあなた自身だと思うよ」

泣きそうになりました。「だって、いやなんだもん」

「それ、英語ができない親が子どもに英語できるようにって無理に押しつけて、子どもが英語が嫌いになるのと同じ構造じゃない?まず、自分ができるようにして、親が英語で話す楽しみを経験して、キラキラしてたら自然に子どもも英語したくなるようになるでしょ。

自分が嫌だって事、自分で克服せずに、そのコンプレックスをそのまま子どもに移植してどうするよ」


それは、目から鱗が落ちたようでした。


自分の嫌なところを子ども移植する、それだけは、しちゃいけないと思いました。

それから、娘の背の高さが心配になってくると、とりあえずは、自分に向き合って、自分のカラダを好きになれるよう努力を心がけてました。運動が大嫌いな私が筋トレしたりヨガしたりコンスタントにしてるのは、そういう理由があったのでした。

それでも一度身につけたコンプレックスはなかなか、なおりません。
鏡見て、あ〜醜いって子供の頃に言われた言葉をつい自分に繰り返してしまう。

なんなんでしょうね、これは。いい大人なのに。 自分の事を受け入れればそれでいいだけなのに。単純に(そのままでいい)そう飲み込む事が、本当にむつかしい。

でも、せめて娘の心に変な穴を開けないこと。それは絶対にしちゃいけない、と自分に言い続けてました。

実は、最近娘が、鏡見て、ふと
「早くママより背が高くなりたいなぁ」
とつぶやいたのを聞いて。

ちょっと「うっ」ときました。
私のコンプレックスを受け継いでない。



それから穏やかな気持ちになりました。
引っかかっていた何かが流れて落ちてくようでした。

途中で気がついて努力してよかった。少しづつ、ですね。

  
Posted by tentenwang at 20:12Comments(1)