今日は長文です。元気のある時に読んで下さいね。
数日前に私のエッセイの読者からメールがきました。
実は私のsakanoue.comの方のウェブ上にあるメールが長期的に壊れていていた様子。つまり私は多くの人からのメールをずっと受け取れていなかったようなのです。(メール送信して下さった人で私から返事がない人はもう一度再送して下さいね。)
そのシステムが直った日。そのメールは届きました。
もし、私のウェブのシステムの管理をしてくれている人がそれを直してくれるのが一日遅かったら。。。私は彼女のメールが受け取れなかったのかもしれない。
そうしたら、わたし、この人にもう会えなかったかもしれない。(まだお会いしてはないんですが)そう思うと、本当にメールを受け取れた事に、今は安堵のため息がでそうです。
そのくらい感動しています。
そのメールはこんな内容でした。
> こんにちは。 約2年ぶりのメールになると思います。
> 以前は日本にいたときに、メールしました。
> 今は日本を出て1年3ヶ月経って、アフリカにあるマラウィと
> いう国にきています。
>
> エチオピアの生活での7ヶ月間のこと、Mixiに
> かきはじめました。
>
> 意味不明な文章も多いと思いますが、
> 旅をする大きなきっかけとなった坂之上さんの
> 本、読ませていただいて感謝しております。
>
> エチオピアの現状、読んでいただけたら幸いです。
>
> 突然のメール申し訳ありませんでした。
> お体にきおつけてお過ごしくださいね。
>
彼女は私が米国時代に書いていた、エッセイの読者のようでした。
ファンの方からは沢山メール頂くので正直頂いたメールの内容は覚えていません。
私はミクシィを覗いてみました。
そしてそこに衝撃的な内容が綴ってあったのです。
本人のお許しが出たので、転載します。
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上の階の病室に、ブルトカンとういう20歳の女の子がいました。
窓のすぐしたのベットでいつ見てもぐったりしていました。
体は本当にやせ細って、とても小さく頭髪は抜け落ちて、肌はすべて干からびた状態の ようになっていて目はうつろで。 つばを自分で飲み込むのも辛そうでした。
あんまりにひどい状態で。 こういう子の場合、本人もだいたいの自分の年齢わかっていますが、 かろうじて話してくれる小さな声でこの子がまだ若いんだってことが私もわかります。
とても小さなかわいい声で、
「チャラカーお砂糖たっぷりのあったかいチャイが欲しいの。」
ってがんばって声を出して教えてくれる子でした。
常にひどい下痢と、嘔吐をしていて自分で立ち上がる力がなくカルテには、 HIVポジティブの可能性があるため血液検査をさせるようにと指示がかいてありました。
いつもぐじゃぐじゃに下痢をしていて 布かえて。って自分からは言わず、私がくるのをずっと待ってくれていました。
私が「排泄したあと、すぐ呼んでくれれば布すぐ変えるからね。 気にせずいつでも
呼んでね。」っていつも伝えていたのですが、
「チャラカ たくさんお仕事あるもん。 私大丈夫だよ。」
って答えがいつも返ってきて本当に優しい子で。
私だったらすぐ変えて欲しくて 我慢できずにいると思うのに・・。
ドクターを探してブルトカンがまだ血液検査を うけにいっていないことを伝えました。
ドクターが、彼女はもうすごく弱っていてみんなで持ち上げて手伝ってももう車いすに乗っているだけの体力すらないんだよ。どうしようもないよ。 っといいました。
こういう子を見るたびに神様はどうして。。っていつも思ってしまいます。
この子がふとした拍子に私のおへそにあいている109のショップで店員をしていたときに強制的に開けさせられたヘソピアスをみつけて触るのが好きな子でした。
この子と同じ20歳の頃私は何をしていたかなって思いました。
東京の短大って響きにあこがれて入った卒業さえできればいいやーって感じで
短大にいって。
また響きにあこがれて渋谷の109の人気のあったショップに就職して、週3回日サロ通いが社訓で、いかに黒くなるか、次の髪のエクステはどんなのに するかとか彼氏のこととか、遊びにいくことばっかり考えていて 自分の日常のことだけで、
死と向き合ったり、
貧しい国の人たちのこと
真剣に考えることもそこまで多くなくて。
どうして神様はここまで
違う人生を・・
って思ってしまいます。
この子が何をしたってゆうんだろう・・。
ブルトカンは、いつも私が手袋なしでブルトカンに触ろうとするとどんなに苦しんで
痛がっていても「チャラカ、グラブ グラブ 」って私への感染をすごく気にかけてくれて。
トルナシもそうでした。
トルナシも 口のまわりの損傷もひどかったため 言葉を出すときに痛みがあったのに、 でもいつも 「チャラカ グラブして。 チャラカに移っちゃう。」 って言って。
グラブがなくなってしまって 遠くの病棟にあるときでも私がグラブ持ってくるのまっていてくれていました。
他の患者さんも自分の損傷部分からでている悪臭を気にして、
「チャラカマスクして、私、臭くてごめんね。。」って。
そんなときいつも、
「臭くないよー。私の頭のが臭いんだよー こんなに長いくせに洗ってないもん。」
って冗談ぽくいったりしてました。
ブルトカンは、たくさん痛みに耐えてがんばっていましたが、数日後、静かに息をひきとりました。
亡くなった後のことは、やっぱりわかりませんが
天国があったとしても来世があったとしても
いつもいつも思うことですが、
たくさんたくさん苦しんで
悲しい思いもたくさんした分
どうかこの子たちがたくさん笑顔で幸せでありますように
って思うばかりです。
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ミクシィ名は、プラプラ子 で登録されています。このほかにもとにかく普通できないような貴重な経験をされた内容が本当に多くて私は彼女の強さ、やさしさ、純粋さに圧倒されました。
皆さんにもぜひ読んでもらいたいので、ブログで一般公開にしてもらえないか彼女に頼んでみるつもりです。
彼女にメールをしたら、日本を出たとき、ガイドブックは一冊も持たなかったけれど、私のエッセイの本を持っていったのだと返事をくれました。
いつも元気と前に進む勇気をもらっています。
って書いてあって、涙が止まらなくなりました。
そんなたいした事書いてないもの。
嬉しかったし、感激しました。
でも自分の事しか考えていない自分が情けなかった。いつも何か人の役にたちたいと思いながら、結局何にもしてない自分とも対面しました。
いろんなことを考えさせられています。
チャラカさん。メール本当に、本当にありがとう。