2007年08月16日

戦争への流れ

愛する人たちの国と自分の国の間で戦争がおきた事実を私はまだ直視できない。

たった60年余り。
まだ苦しんだ人が双方に残っているのに。
お互い沢山の人が苦しんで苦しんで苦しんで死んだのに。

多くの子供が死んだのに。
多くの親が死んだのに。

また今にも戦争を繰り返しそうな論調が増えている。
どうしてそうなるのだろう。

なんの罪もない同士が、今だったら友人になれたかもしれない同士が、撃ち合い殺し合いそして同時に相手の家族を苦しめる。

ある老人がどうしても話しておかなければならないという話のコラム記事を新聞で読んだことがある。

『私は上司の指示に従い、命令に逆らう女性を井戸に落とした。その女性の子供だろうか、4歳か5歳くらいの子が追って井戸に自分で飛び込んだ。
また上司の命令で私はその井戸に向かって銃を撃った。

私はそのことで今でも苦しんでいる。そしてこのことを話し続けなくてはいけない』

普通の人がそんな残酷なことをするようになる。
戦争とはそういうことだ。

普通の人々が自分の国の上層部が決めたことを正しいと信じて、またまったく同じ論理で自分の国は正しいと信じている普通の人と殺しあう。

今の米国をみればわかる。テロが恐ろしいから、自分の身を守るために武器をもって他の国に戦いにいった。
それが正しいとマスコミさえ皆を信じさせようとした。

そして決行され多くの普通の人が死んでいく。
あいての国の人々も。アメリカの兵士達も。
そして何も変わらないどころか、恨みは深くなりテロの危険は増していく。

人々は毎日死ぬ兵士たちをヒーローと呼び、そして自分の身を守るのだと言いながら一層びくびくと暮らしている。

私はアメリカが議論の国だと思っていた。議会が黒人女性の政治家一人を除くすべての議員がその戦争に賛成票を投げたと聞いた時に耳を疑った。

そしてマスコミがニューヨークタイムスやCNNさえ政治的に戦争へ向かうよう促す記事を書き流した。そして反対する人々は左遷された。お笑いトーク番組のポリティカルインコレクトは番組を打ち切られた。

戦争が始まるまでのその流れを恐ろしく見守ったことを今でも鮮明に覚えている。テロの100倍恐ろしかった。反対意見が盛り上がりそうになる度に、なぜか政府から緊急テロ警報がでる。そして見えない敵にみなが怯え、反対が言えなくなる。

それは国の問題ではない。
アメリカだけではない。パレスチナでもそうだし。イスラエルでも。北朝鮮でも同じだ。一般の人は悪くない。この流れに巻き込まれ、そして政府にマスコミに、その時代のリーダーに洗脳された一般の普通の人々が犠牲になるのだ。

そして相手の国の普通のひとびとを殺し、そしてその亡くなった母親たち双方が苦しみ泣き叫ぶ。

2007年の今現在もそれは続いている。
私は、米国で戦争がおこる状況を見た。見たことのない人はその恐ろしさを感じることができないかもしれない。ただ、それは確実に今現時点で起こっていることなのだ。

洗脳された一般の人々の心を変える事ができるのは、武装ではない。
武器で本当に人民の平和は買えないしましては自分たちの平和は買えない。
それは近代史の歴史を見ればわかる。

戦争回避のキーは情報だ。言葉だ。外交だ。インターネットだと私は思う。

今、日本の空気がちょうど昭和の始めの戦争をはじめた数年前に酷似しているという話をきいた。

強硬姿勢になる国民。自分たちを守るために、武器をもち、国際平和のために、自分たちが、国際貢献しなくては。国をテロから守るため。


どういう論理を展開しても。。。

そしてそれは実は、いつのまにか、あなたの家族、友人を殺すことになる事を何人の人が気がついているのだろうか。















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この記事へのコメント
私ももちろん戦争反対です。
祖父をはじめ、親戚の人も徴兵され、
戦争に行ってましたので、
その悲惨さは子供のときから聞かされていました。

私が思うのには、どちらがどうこうという理論はおいといて
真実をもっと後世に残していかないといけないと思います。
そういう意味では、日本は先の大戦についての事実を公開しなさすぎるのではないかと思っています。
Posted by YUMING@神戸 at 2007年08月16日 12:21
5
私の知人が今、アフリカの某国に内戦取材で行っているので、
ひとごとではない、と食い入るように読みました。

>戦争回避のキーは情報だ。

まったくもって同感です。
でも、アメリカも日本も、マスコミはその場その場にある
視聴者受けするホットな情報をどこに行っても求められ、
彼は本当に現地で伝えたいこととのギャップに悩みそうです。

ちなみに私は、大学院入試の時、面接で
「平和報道を研究したい」と言ったら、真ん中にいた
面接官に「平和報道なんてないんだ!あるのは戦争報道だけで、
どうしたら戦争が起こらないのかを研究するんだろう」
と叱咤され・・・合格し、その面接官が指導教官になりました。

先生の言うこと、納得はするのですが。
Posted by KOMA at 2007年08月16日 13:34
大多数の意見が正しいときもあるし、正しくないときもありますね。

この見極めは本当に難しいです。

次元が違いますが、今住んでいる香港で出会う日本人に、大陸に行ったこともないのに、香港人の影響か、香港に住んでいる自称中国通の方々の影響か、大陸嫌いな方が多いように感じます。

私も大陸は住んでいたとはいえ、特別大好きではありませんが、嫌っていると皆の輪に入れるという雰囲気が少し恐いなと感じますね。
Posted by Jacky at 2007年08月16日 23:05
はじめまして。いつも拝見させていただいています。
私はまだまだ視野が狭いけれど、6月の末に沖縄に行ってから戦争に対して色々と考える機会があり、思わず初コメントさせていただきます。
ひめゆりの資料館で「私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません。」と書かれていたのが心に残っています。
世界の交流と教育の重要さを強く感じました。
小さな力でも、それが具体的に形にならなくても、平和を強く思う気持ちを多くの一人一人が持ち続けるのが大事ですね。
Posted by ケリイ at 2007年08月20日 08:56
YUMINGさん
私も同意見です。あまりに感情的になりすぎるのも良くないですよね。

KOMAさん
本当に視聴者が見たいとTV局が勝手に思っているもの、それだけがテレビに流されている偏重な感じを感じています。
たしか中国の日本バッシングの取材もそうでしたよね。。
友人の無事お祈りします。

JACKYさん
自分ひとりの意見が他の大勢と違うって本当に怖いですよね。。。わかります。

ケリィさん
わたしも沖縄で信じられない、と思いました。悲しくて考えさせられました。
異常な状態に陥って穴から逃げようとした人を後ろから撃った。その日本兵も平均的な普通の庶民だったという事実が、本当に怖いです。小さな力でも考えること、願うことが大事なことだと思っています。
Posted by よーこ at 2007年08月29日 14:46