私は娘を抱いて長距離を歩くと、なぜかいつも涙がこみあげそうになります。
どうしてなのか、本当にわかりません。
子どもと逃げ惑うフラッシュバックのようなものを感じるのです。
子どもはおなかをすかせて、泣きじゃくる。一緒に歩いている仲間の大人から子供の泣き声で敵に見つかると困るので、子供を置き去りにしてくれ、と言われる。
子供の重さで自分の足が擦り切れ、泣かないでと言い聞かせながら歩き続ける。
そんな薄い膜のようなフラッシュバックが起こるの。
変でしょう?
それが過去に見たテレビか小説の記憶なのか、なんなのかまったく検討がつかないのです。
誰かがそれは前世の記憶なんじゃない?と言ってたわ。
それが何であっても、ただ、娘を抱いて歩くと必ずどんな時にもそういう感じがあっって。遊びに行くときとか、買い物するときとか、いつでも。
娘が泣いているわけでもないのに。
私はそういう気持ちを避けるために、娘をぎゅっ、と抱きしめて、自分がふいに泣いてしまわないように目を前に向けて歩きます。
もしかしたら母親というのはみんなそんな風に子どもを守っているのかもしれないですね。
私は、自分の子供だけでなく世界中の子供たちが、決して戦争で死んではいけないと思っています。日本は平和だけれど、たった63年前に戦争をしていました。
こんな話を読みました。
まだ生きていらっしゃる日本兵士の話。彼の上官にレイプされることを拒んだ敵国の女性を上司の命令で井戸に落としたのだそうです。そして彼は井戸の中に向かって銃で撃つように命令され撃ったそうです。
そうしたら、どこからか5歳くらいの子どもが出てきた。
その子は、叫びながら女性を追うようにして井戸に飛び込んだそうです。
たぶんその子は、母親の子供だったのだろう、と彼は語っています。
その日本人兵士は、一歩兵であった自分には何もできなかった。上官に逆らえるはずもなく。日本に帰って自分に子どもができてそのことを思うと辛くて辛くてこの話を伝えないといけない、と。
普通の人を平気で残忍な人間にする。それが戦争なんです。
こんな話は日本だけではありません。
戦争に巻き込まれた個人の悲しみや憤り、その風潮や国の決定に従わなくてはならない辛さはどの国の人も兵士でも同じ苦しみを抱えています。
人は集団の母数が増えるごとに倫理が低下する、と聞いたことがあります。
個人の悲しみに戻れば、戦うことがどんなに馬鹿馬鹿しいことかわかるはずなんです。
日本はやっと平和になったのに、憲法を変えてどうして戦う準備をしないといけないのか、私にはよくわかりません。
ただ、子供を抱いて逃げたり、自殺しろといわれた母親は何万人も確かに、そこにいたのです。