昔、シカゴで学生をしていた頃にその大学の先輩に日本人がいた。
佐藤さん、という。
とても優秀で、教授に紹介してもらって出会った。
佐藤さんは、非常に優秀なで、デザイナー&カメラマンとして個人で働いていた。
一人息子さんがいた。
私は時々佐藤さんに自分の作品の批評をしてもらったりした。
アドバイスの後に、食事などご一緒させてもらった。
その時よく小学生の息子さんの話を聞いた。
それから私も卒業。就職して、忙しくなり佐藤さんにはあまり会わなくなった。
そして私たちはニューヨークに引っ越した。
佐藤さんとは完全に疎遠になった。
ある日、突然、旦那とヤオハンに行ってみようということになった。
私たちはコネチカットに住んでいたので、ニュージャージー州にあるヤオハン(今のミツワ)に行くのは、車でもかなり遠い。日本食はコネチカットでもクィーンズの中華街でも帰るし行く必要性もなかった。
でも、本当になぜだか自然にその日わざわざヤオハンに行くことになった。
スーパーの玄関先で日系の新聞が宣伝のために配られていた。
新聞を買って下さい、という宣伝の為なので、何日か前の新聞も束になって配られていた。
私は、今週の、旦那は前週の新聞を受け取り、ランチの時にそれを広げた。
(そこに行かなければ決して見る事がなかったであろう)前の週の新聞の1面に佐藤さんがのっていた。
旦那が、こ、これ、佐藤さんじゃない?
シカゴの日系の学校の空からの撮影時ヘリコプターが墜落
操縦士 カメラマン、先生 全員死亡
白黒の小さな写真。そのカメラマンは確かに佐藤さんだった。
私は呆然とした。声がでなかった。震えた。
その後のことはよく覚えていない。
私はその日の夜に佐藤さんの息子さんに宛、長い長い手紙を書いた。
黄色い便箋だった。
一気に何枚も書いた。
佐藤さんに会って食事をしていた時に、佐藤さんが息子さんに託した夢であったり、どんなに彼が息子さんを愛していたか、ということ。
私が聞いていたすべてを書いた。
私はその手紙を投函した。手紙がポストに落ちる小さな音。
目眩のような感覚があった。
その後奥様がお礼の電話をくれた。
息子にとってものすごく影響のあった手紙だった、と。
でも、私は今でも思う。
たぶん、あれは佐藤さんが私をつかって書かせたんだ、と。