プラ子ちゃんのブログを転載します。
どうして私がこんなに会ったことのないプラ子ちゃんを助けたいか、
わかってもらえる気がします。。
前に書いた赤ちゃんを亡くしてしまった、
痩せ細った16歳のナディア、
彼女もHIVに感染していたので
結核にもかかってしまっていました。
少し前にナディア、病院に入院していたとき、
いつも病院に退院するときに払わないといけない、
入院代の支払いを心配していて、
(1日ごと30円の入院代です。)
「ここににいたら、雨漏りの心配しなくていいし、
地べたじゃなくて、ベットで眠れるけど、
長くここにいればいるほど
お金がかかるから早く家に帰りたい」って
言っていて、
ナディアが好きだって言った、
バナナやお豆、寒くないように服なんかを持って
お見舞いに行くたびに、
「お金のことは心配しなくて大丈夫だよ。」って
伝えていたのですが、
自分の家に戻ってしまって。
(ここでは、本人や家族が病院にいたくなかったら
治療の途中でもいつでも退院できます。
入院代が払えない場合、飲まないといけない薬も
支給してもらえないことが多いです。)
彼女は、彼女のお母さんと
まだ小さな兄弟たち4人、
あともう一人のナディア自身の子供、
4歳ぐらい?の女の子と
小さなわらの小屋の住んでいました。
本当に小さな小屋で、雨漏りもひどく、
家の中の地べたに水がたまってしまっていて
そこにずた袋をひいて眠る生活でした。
いつも最低限の食事は届けていましたが、
最後にアンジェリーナに
彼女の家に様子を見にいってもらったとき、
あんまりにひどい状態で
病院からの薬もずっと飲んでいないままみたいって連絡がきて、
急いでタクシーを呼んで病院に運ぶように伝えました。
その日の夜に仕事が終わって急いで
病院に様子を見に行ってみたとき、
「ナディアー、ジュース買ってきたよ。
ナディアが好きだって言ってたのだよ。
体調はどう?」って、ぐったりしたナディアに話しかけると
「うん。さやかー。大丈夫だよ。 私は元気だよ。」って
ゆっくり答えてくれて。。
それから、
「明日の朝一番で朝ごはんを持ってくるね。
何が食べたい?」って聞くと
「お魚。 ずっともう食べてないから
お魚が食べてみたい。」って。
次の日の朝、病院の朝の面会時間は
朝の6時から7時までなので
張り切って朝6時前に家を出て、病院に向かっていました。
病院についてナディアがいなくて、
病院の清掃のおじさんに聞くと
連れてかれた場所は、
病院のすぐ横にある亡くなったかたの遺体保管所で。
ナディア、前の夜、
私が帰ったあとすぐに息を引き取ったそうです。
もっとしつこく病院に戻るように
伝えればよかった。もっと栄養のある食べ物の援助や
お薬しっかりの飲んでるかの確認するべきだった。
「寒いけど、火をくべる薪がないの。。」って言われたときに、
薪買ってきてあげればよかった。。
一緒に住んでる売春して生計を立ててる
飲んだくれの、ナディアのお母さん、
病気のナディアにご飯も与えずに、
いつもほったらかしで、
薪は少しブッシュに入ればナディアのお母さん、
頭に乗せて運んでこれるし、
あんまり全て援助してしまうとそれは良くないんじゃないかって
思っていたのもあって。。。
ナディア苦しんでたのに、
もっともっと助けてあげればよかった。。
ここでは、病院で亡くなった人は遺体保管所に移されて
家族がきたときに亡くなったかたの遺体を洗います。
遺体が腐ってしまわないように、遺体を入れる冷凍庫もあります。
ナディアのご家族を待ったけど、来てくれたのは、
ナディアの義理のお父さんのいとこだっていう男のかたで。。
ゴム手袋を渡されて、遺体保管所のかたに
外で火でお湯をくべてもらって、
急いで買ってきた30円のせっけんで
彼女の家族に変わって骨と皮だけのナディアの遺体
その場で洗いました。
あんまりに痩せ細ったナディアの遺体を
色んなことを思い出しながら
ナディア、寒くないようにあったかいお湯で丁寧に洗いました。
こうなってしまう前に、
もっともっとしてあげれたことはあったのに。。。って
思って、申し訳なくて涙がでてきました。。
どうか亡くなってしまった赤ちゃんと一緒に今は
天国で幸せにしていますようにと思います。
私はナディアの状況があまりに遠すぎて正直、どうすればいいのかわかりません。
亡くなったナディアの身体を洗ってあげるプラ子ちゃんがいとおしいです。
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