なぜこんなことで、死なないといけないですか?
パレスチナとイスラエルの戦いをニュースで見ながら、たぶん全然世界の違うところの話だと思った人も多いかもしれません。
私はパレスチナの友人もイスラエルの友人もいるので、Facebookで沢山の亡くなった方々の写真を見ました。
中に、まだ、小さい子供たちが、倒れている写真がありました。
ここであまりにも残酷な写真はのせられませんが、たぶん3歳か4歳くらいの子どももいました。子どもたちが、皆、血みどろで死んでました。
昨日まで無邪気に笑っていただろう沢山の子供たちが。
どうして、そんなことが起こるのでしょう。
今年の4月、パレスチナ大統領が来日しました。その時に、私は日本のビジネス界の方々とのミーティングをセットアップしました。
安全になったので、是非日本のビジネス界の方々にも来てもらって、これからどんどんビジネスをやっていきたいってことでした。
今回のイスラエルの攻撃が始まった時は、正直愕然としました。
それから、一生懸命、色々な記事を読みました。イスラエルで選挙があるから、(イスラエル政府はオバマが勝つとは思っていなくロムニーに100%力を入れていた。しかし負けてしまったことでイスラエルに力がないことが露呈)イスラエルの強行派をまとめる為に、しかけたのだ、という論調が目立ちました。
そんな理由で、子供が死んでいい?
正直もっともっと大事な理由があるに違いないと、他の情報も集めました。
でも、別の大きな理由があったとしても、ただ、家にいただけの子供が突然、殺されてよいはずがないのです。
どんな理由があろうとも、子供がこんなことで死んではいけない。
そして、そうこうしているうちに、怒ったパレスチナ側が報復をし、イスラエルの方々が亡くなるというニュースがありました。
絶望的な気持ちになりました。
今回の爆破で亡くなったイスラエル人、ひとりひとりに、家族がいる。今回亡くなった人々も、もしかしたら、パレスチナとの和平を望んでいたイスラエル人だったかもしれません。無差別に攻撃されているわけですから、個人の考えは関係ありません。
こうなってくると、双方正当な理由など、何も見えなくなります。
誰も憎しみで、もう訳がわからなくなるはずです。
どちらが正しいとか正しくないとか、死んだ人を目の前に言えるはずがないでしょう?
そこには憎悪しか残されません。
私だって娘が殺されたら気が狂うと思います。
戦争がはじまったら、どちらが正しくてどちらが正しくない、はなくなります。
私は911が起こった時に米国で生活していました。
だから、米国の人々が戦争へ向かっていく様子を肌で知りました。
いつのまにか、ありえないようなことまでもが、正当化されていきます。
そして、結局犠牲になるのは、普通に笑って日常を生きてきた無実の市民なんです。
多くのイラク人とともに多くの米国人も亡くなりました。
争いがなければ、仕事をし、学校に行き、恋をして、結婚する、くだらない冗談で笑ったり、美味しいもの食べて喜んだり。。そんな人たちが、どんどん亡くなっていきました。
私の娘が通っていた小学校の同級生にはパレスチナ人とイスラエル人が仲良く遊んでいました。出会っていたら、もしかしたら、親友になったかもしれない同士が殺し合う。
戦争とはそういうものです。
私は、「子供を殺してまで」「無実な人を殺してまで」守らなければならないものって、一体なんなんだろうか?と激しく憤りました。
その時に、友人の一人がこう言いました。
「人間ってそういうものだよ。やらないとやられる。
領土を守る。国を守る。日本だって同じよ。やられっぱなしで黙っておくわけにいかない」
私は彼の顔をまじまじと見ました。
自分が唾をのみこむ音が喉のところでしました。
「2012年のこの時代に、行きつく答えが、土地を守ること。国を守るために、子供を殺すことも辞さない?」
普段まともな人がそんなことを言うなんて。
それがたとえ、無知だと言われようとナイーブだと言われようと、私は、これからちゃんと声にだそうと思います。
「それは違うよ」って。
私は自分の国も守る。でも絶対に他国の子供も殺さない。
どの国の子供も誰も、こんなことで一人も死んではいけない。
そう口にだしてちゃんと言わなければ、と最近の日本の空気も感じながら思っています。
今は「戦う、やり返せ、怖い」そういう世論がたちこめてきている。そういう緊張した世論は、歴史を見れば、誰か一人でも何かのひょうしで死んだとしたら、
一日で日本もテロ戦争に突入していくでしょう。
いろんなところで、無実の人が死にはじめると、防衛という名の殺し合いが始まります。
そしてそれは一旦始まったら終わらない。長く長く続くことになるでしょう。
私たちは知らなくてはならない。
まず、まわりの人に、以下の2点のことを広めていかなければならない。
1。テロ戦争が、軍備の強化や武器や、セキュリティチェックで決して取り除かれない、なくならないのを多くの知識人が既に知っていること。
2。愛すること。理解しようと努力すること。教育。時間がかかる。もちろん途中で挫折しようになるぐらいに上手くいかないこともたくさんある。でもそれだけが、人々の不安を取りのぞき平和をつくる土台になる。
戯言と言う人がでてくる。
簡単じゃないと言う人がててくる。
幼稚だと笑う人がでてくる。
もちろん簡単じゃない。
いろんな方法があるでしょう。
でもわけのわからないことを言っているから、殴り返す。が答えではないことははっきりしている。
市民として、これから私たちは、賢くならなければならない時代にはいったと思うのです。
Posted by tentenwang at 22:23│
Comments(11)
私の父が昔に務めていた会社の社長が、戦争の時に南京に行った人でした。
戦後かなり時間が経ってから、この社長がこんな話をしたそうです。
「町で捕まえた赤ん坊を放り投げて銃剣で団子みたいに串刺しにして歩いた。恨みを買って当然だよ。」
私は幼い時にこの社長の家に遊びに行った覚えがあります。
出前の特上にぎりのトロをはじめて食べた私が「美味しい」と言ったので追加注文してくれたという話を父から何度も聞きました。やさしいおじいちゃんでした。
父にその後のことを聞くと、社長はみんなから慕われて良い人生を終えられたということです。
私にはどうしても、南京でその社長の精神状態がおかしくなって異常な行動をとったとは想像できません。つまり、ふつうの人のまま他人の赤ん坊が殺せる状況があったのかと思います。
憎悪や敵対心をくすぐるだけで人の理性や良心がコロッといくのなら、そこに訴えかけても効果はありません。戦争屋さんはむしろそういう人間の性質をうまく利用するのではないでしょうか。
誰もが「自分はそんなことはしない」と思っています。
しかし、周りの状況によって簡単に変わってしまう。ひとりひとりが自らの中にその危険をはらんでいることを自覚することがまず大事と思います。
そして、国や組織から自立した個人の精神がないことには、その状況に入る前に辞退するという行動がとりにくいと思います。
例えば、「この国アカン」と思ったら別の国に移って住める自由度を高めるのは、世界平和への具体的な一歩かもしれません。国と個人の利害は一致するところと一致しないところがあると、冷静に見られる立場の人を増やすのです。
このところ国々が愛国心を煽るのは、国の運営者側が自立した個人の精神を嫌っているように思えます。
はじめまして。 いつも拝読させて戴いておりますが、今回はじめてコメントさせて戴きます。
私、911少し前からUSに住み始め、現在に至ります。 最近の日本のメディアの情報を知らないので、多少温度差があるかもしれませんが。。。
まず、今回の(つまりごく最近の)パレスチナとイスラエルの争いについて。 パレスチナは、日常的にイスラエルを攻撃しています。 勿論それは一般市民を巻き込む攻撃です。 あまりにも日常的すぎて、USのメディアではそれほど大きく取り上げられることはありません。 ところが、今回の大統領選挙直後、パレスチナは大きなミサイル攻撃をはじめました。 左よりといわれるUSメディアでさえ、パレスチナのイスラエル攻撃は大きなニュースとして伝えられました。 その報復としてイスラエルが攻撃をはじめました。
何故この時期にパレスチナが日常茶飯事の攻撃以外に大きな攻撃をしかけてきたのか、わかりません。 大統領選の結果がトリガーになったのかもしれません。 あるいはリビアのアメリカ大使館攻撃の経緯を、アメリカの治安維持低下の好機とみて攻撃をしかけてきたのかもしれません。
中東のこの長い長い戦いの歴史は、私にはどちらがしかけ、どちらが報復したのかわかりませんが、私達とは全く異なる価値観を持つ宗教を信じ(かつ、利用している?)人達をとめるのには、どんな方法があるのでしょうか?
執拗に毎日続く攻撃。 それを我慢していれば、それがいつか終わるのでしょうか? 子供も、無実の人も見境なく攻撃を繰り返す人達に愛を唱えるだけで攻撃を止めることができるのでしょうか?
明日殺されるのは自分の子供かもしれない、あるいは子供を守りたい自分が殺されるかもしれない。。。そんな毎日を我慢するだけで、子供が守れるのでしょうか?
字数オーバーなので、2回に分けて書き込みします。すみません。
①
私は、国民の国際観を深める教育と、真の「国際的」見地を持ったリーダーの両方が成り立って初めて世界平和の道が築かれると思います。
私は高校で外国語教師するにあたり、心して行っている事があります。
それは、違う文化を教える事により、自分に取って「正しい事」も違う国の人に取っては「間違っている」事もあると観点の違いを学生達に教えることです。真実は、見る角度で違う ― つまり、自分とは違う人々をただ judgementalに判断するのではなく、相手の見地を真の意味で深く理解する事ができる心を育てる事です。「自分の価値観=絶対的universal truth」
と思ったら、国々は元の事、夫婦関係も、どんな人間関係も上手くいきません。
相手を受け入れられる許容性のある人間作りが、平和に繋がると信じています。
②(続き)
又、「どうして2012年に、...」とありましたが、感情起因の問題は、きちんと終止符を打たなければ今から何年後でも再度起きると思います。日中、日韓、日露の領土問題もしかりです。臭い物に蓋で、延ばし延ばしにした大切な事がこのような大きな形で現れるのは当然だと思います。米国の新聞やタイムズスクゥエアーなどにかかげられたCMで今だ日本の過去からの責任を追求されるのが、その証拠ではないでしょうか。愛日家の米友人が工場を上海に持っていますが、彼は日本の事を心配しています。第二次世界大戦時の傷を原因に、上海の20、30代のインテリエリート技術者でさえが、日本と戦争する覚悟であると言っていました。そんな中、日本の首相が今年、中国訪問日を様々な反日記念日と知らずに予定した等、自国のリーダーとそのブレインとなる人々がどれだけ本当の意味で「国際的」ではなく、相手を「侮辱」した態度をとっていることも知らずにいた事に、同じ日本人として恥ずかしいと思いました。
領土問題は表面的な物で、実はもっと深い歴史を絡んだ問題ですよね。積み重なった痛みの歴史をまず癒さなければ、問題解決は難しいのではないかと思います。
「自分の子供を守る。そして他の国の子供も守る」
とても素敵な言葉ですが、守る、ということは、戦う、というのと同じです。
世界を平和にするとしたら、非暴力では無く、技術の進歩による「豊かさ」です。
やるべきことは飢えを無くし、エネルギー資源を豊かにすることです。
世論だなんて「言葉」では世界を変えることは出来ません。技術の進歩だけが世界を変えることが出来ます。
偉そうな言葉なら、紀元前からありますからね。
少し感情により過ぎのような気がします
死はどのような形であれなくならないものですし、どんな形であれそれは(一般的には)悲劇です
メメント・モリ「死を忘れるな」という言葉がありますがまさにこれが失われてきていると感じます
命はいついかなる場所でどう失われるかもわからないと
誰もがちっぽけでいついなくなってもおかしくはないし、それでも何も変わらずに世の中は回ると
「自分の子供を守る。そして他の国の子供も守る」
日本から世界に向けて発信しなくてはいけないメッセージなのだと感じます。
ああそうか。戦争って防げないから逃げるが勝ちと思っていたけれど、よーこさんは戦争は防げるという話をしてるのですね。逃げられる人と逃げられない人がいますしね。
理屈ではありません。
「どのみち死ぬのだから、その死に方に文句をいってもしかたない」といったたぐいの意見には賛同できません。
それから、技術が進歩しても、コピーされたら人件費の安い途上国には太刀打ちできませんし、いくら技術が進歩してもそれによる豊かさは、競争に勝ち抜かなければ享受できません。それが悪いと言っているのではなく、技術の進歩による「豊かさ」は多くの部分が幻影であるということです。人の欲望と言う物には際限がないと思います。足るを知る事ができれば別ですが・・・
「臭い物には蓋」と解釈すれば「単に逃げただけのこと」と思える事も、「直接的な被害を被った人と直接的な加害者が居なくなるまで待って話し合おう」という提案は感情だけで再び大きな衝突に行き着くことを回避する方策としてはとても合理的なものだと思います。
右のほほを打たれれば左のほほを出す。それを馬鹿げていると内心思っていても口には出さない。「不殺生」と言われても、しのごの理屈を繰り出して正当化する。当然、私はそのような人間ですが、「それではいけないのだと」と説く人を理屈でねじ伏せようなどとする意見には賛同できません。
頑張って下さい。応援します。
簡単です。
世の中の大半の「偉い人」は、
隣の人よりちょっとだけズル賢くて、
本を一冊多く読んだことがあるからです。
そして、お金をたーくさん持ってるからです。
かつて、ヒットラーは、人間の三欲を制しようとしたといいますが、本当でしょうか?
これは、戦争じゃなくとも、どこの国でもあることです。
日本だって、ちょっと前に、厚生省の方々が、人の年金や税金で、按摩器かっていたじゃないですか?
今だって、高級住宅に住んでるじゃないですか?
こんな人達が、人の痛みなんかわかるかけがない。
小沢一郎さんが、自民党の幹事長時代に、
「お金だすから、PKOへの自衛隊の派遣は見送らせてほしい」と、アメリカに言ったという話だってある。
私の叔父と妹は、アメリカにいます。
9.11のとき、もし、殺されていたら、
絶対にその国を、その人たちを、その国民を許せないと思う。自分に憎まない良心があるとは思えないです。
でも、その一方で、自衛隊に同級生が多くいます。
彼らに、戦えと言えません。
でも、この国の中で、今起きていることは、なんなんでしょう?
原発は怖い。でも電気は使いたい。
戦争は、絶対にしてはいけない。
でも、攻め込まれないために、アメリカに守られ、
そして、多くの自然を壊してる。
アメリカ兵に、馬鹿にされ、傷つけられている人達が、
たくさんいるのに、人ごとのように毎日を過ごしている。
原爆は、絶対にいけない。
でも、アメリカが怖いから、それにすら賛同できない。
この国の国民でいることが、時々悲しいです。
『なぜ元日のNHKスペシャルに出演したのか、について』にコメントさせて頂きました。この記事を読ませて頂いて、自分なりに坂之上様の考え方をある程度は、理解したつもりです。
この記事では、坂之上様は、イスラエルとパレスチナ問題に触れられています。坂之上様にとっての価値基準は、「人命尊重」なり「人類皆兄弟」こそが唯一絶対のようです。この価値基準を世界に広めるべきと主張されているというのが、私の理解です。
ところが、ユダヤ人(イスラエル人)の価値基準はユダヤ教、同じくパレスチナ人はモスレムですので価値基準はイスラム教です。両者とも唯一絶対神を奉じる一神教の教徒です。ですから、イスラエル人にとっては、YHWH(ヤハウェ)の約束の地に返ったのだから、正義はあくまで自分にある。一方で、土地を奪われたモスレムのパレスチナ人にとっては、アラーのために自爆テロをするのですら崇高な殉教者になります。
坂之上様の、人命尊重という価値観がある一方で、宗教的価値観を第一と考える価値観もある、というがの私の事実認識で、どちらにすべきとも思いません。自分とは違う価値観でも認めて共存すべきというのが、私の考えです。
しかし、こうした価値観の違いを認めず、「人命尊重が唯一絶対」と主張するならば、坂之上様のやるべきことは、イスラエル人にむかって、ユダヤ教の神の教えはケシカランと説伏し、モスレムに対しては、アラーの教えはケシカランと説伏することだと思います。
坂之上様、是非、頑張って、イスラエル人もモスレムも説伏して下さいね!!本当に頑張って下さい!!
確かに、宗教観よりも日常を重視する価値観の方が、穏やかで素晴らしいと、私は思いますから。