人権人道大使「シャラップ」発言で思ったこと
友人が、100%冗談だと思いスルーしていた、と言ってた国連拷問禁止委員会における上田人権人道大使「シャラップ」発言 / Japan's Human rights Ambassador Ueda yells "Shut Up!"
VIDEO
えっと。。今回これをとりあげたのは、
内容がどうだ、相手がどうだ、という問題は一旦ここではおいて。
今回議論したいのは、もしかしたら、『日本では、こういう場面、オフィスで良くあることなのかな?」と聞きたかったからです。
そう、上司が「黙れ!」と叫んだりすること。
こういう国際的なコミュニティでは、反論や異論、暴論があれば、落ちついてやり返す。
それにユーモア交えたりしたら人気があがるって感じが、基本。
ユーモアをいれるという芸当ができなくても、落ちついて反論ができれば、それが信頼がつながります。
ヤジに対してでも怒鳴るのは論外です。感情で怒鳴り返す人を見ると「あ、あいつ負けたな」と思われる社会(コミュニティ)なのです。
(シャラップ!という言葉を会議で使うのは、論外、でも、まぁ、そのことは、ここではどうでもいいです。
)
私が今回言いたいのは、この大使が、どうこう、という個人的なことではなく、
どうして日本は、「異論やヤジに対して怒鳴り返してはいけない」この大人として基本中の基本のこと。
それを理解してない人を「人権大使」にしちゃったのか、ということ。です。
なぜなら、この方、ここの場所でちょっとしくじったのではなく、きっと他でもこういうことをしてたと思うのです。
だって普段怒鳴ったことがない人であれば、こういう会議の場面で、こんなこと到底できないでしょう?単に緊張して、とかだったというレベルであれば、そもそも日本の代表にしてはいけないと思う。
つまり、この人が異論に対して「怒鳴る」という解決法を常に使ってきて、それ自体が許されている土壌があるから、この大使はこういうポジションにつくことができた。
そうじゃなければまわりが、「あいつありえない」と言ってどこかで失脚していると思うのです。
で、それは、つまりはたぶん私たちの問題なんじゃないかな、と。
たぶん私達(日本社会)がどこかで「異論を言われた時に怒鳴って威圧する人」を許している。
こういう風に人に怒鳴りつけることは、まぁ、嫌な奴だな、と思うけど、しょうがない、とか。
相手も悪いしな。とか。
昔日本でも、「女は勉強などしなくていい、学校に行かなくていい」と言っていい時代がありました。
もし今、同じことを誰かが言ったら、たぶん社会が許さない。
昔、髪を茶色に染めたら不良だと言われていました。今はおしゃれ。誰もとがめない。
話が飛躍してると思われるかもしれませんが
「社会(コミュニティ)が何を許して何を許していないか」
それって結構大事なポイントなんじゃないか、と思うのです。
BBCやCNNなどのニュースを見ていると、色々な国で信じられない事件が起きます。
そのつど、それぞれの国が、いやその社会(コミュニティ)が、そういうことが起きるのをどこかで黙認しているのじゃないかな、と思うのです。
つまり、今回の日本の人権大使の言動は、自分たち社会(コミュニティ)の中に、それをゆるす土壌があり、それが 私たちが一番の考えなくちゃいけない、直視しなくてはいけないポイントである気がします。
異論に「怒鳴り返す。黙れ」としか言えない人を上司にしてはいけない。
反論をどう前向きに扱うかって社会が考えて、責任をもてばこういうことは減っていくと思います。
Posted by tentenwang at 07:25│
Comments(14) │
TrackBack(1)
この記事へのトラックバックURL
少し前に話題になっていた上田大使のシャラップ発言を今さらながらYouTubeで見ました。 内容は知ってたのに、一瞬背筋が凍った。 あちゃーーー、これ公の場で、この立場の人がやっちゃったんだ・・・ とりわけ感情を表に現すことを恥じるイギリスでは、いい年をした大人が他
「あなたの選択は正しいのか?」と問われ続ける3歳児 【世界級ライフスタイルのつくり方】at 2013年07月17日 20:04
こんにちは!
私は中小企業の同族会社に勤めていますが、上司が怒鳴ったり、ちゃぶ台返ししたりはたまにあります。原因としては、部下が異論や新しいことを提案したり、少々でしゃばったことをするとです。日本人は異論に対して、ディスカッションをしながら、相手の意見を理解するという行程が苦手のようです。このビデオを見て、私の上司を思い出しまた。その場面を見るたびに幼稚だな、と思いますね。まわりも呆れてます。でも、そういう時代の人だし、そういう環境で仕事をしてきたのだと、割り切ります。国際的な状況では通じませんが、日本にはまだまだあると思います。場所は違えど、日本の家庭では同じことが起きているのではないでしょうか。
私も感情的になってしまう時があるので批判できません。
よっぽどストレスになっていたんでしょうね。
実力以上のポジションを与えられてしまったと同情してしまいます。
日本は、国会が、ヤジの嵐です。
国会がそうだからなのか、
公の話し合いの場で、女性までもが、
大声でヤジを飛ばしたりします。
しかも、ヤジを飛ばせて一人前、というような雰囲気すらあります。
まだまだ、
「声の大きい人が勝ち」
「声の大きい人の意見が通る」
という社会です。
初めまして。いつも愛読しています。
ささなおさん(at 2013年06月16日 19:16)のコメントを読んで思い出しました。
英語圏の大学で日本政治の科目で国会中継映像が紹介されたんです。何の審議だったか、ヤジは多いし、終いには怒った一議員がものすごい剣幕で壇上に上がろうとするのを他の議員たちに止められるというシーンがあったのですが、それを見た時みんな爆笑していたんですよね。
愉快な爆笑というより失笑気味だったんですが、留学1年目ぐらいだった私にはなぜ皆揃って笑うのか、意味を確認せずには理解できませんでした。
でも数年以上暮らし、気づかぬうちに「違う意見が存在することは当然で、相手の主張を客観的に理解した上で自分の意見を伝える」ことが当たり前になっている今、あの時のクラスメートの反応が自然に分かりました。
坂之上さんがおっしゃる通り、大学留学で海外に出るまでは、異なる意見に怒鳴る大人を結構みたことがありました。学校教師、体育会系の部活でお世話になった先輩、コーチなど。自分はそうはならないぞと思っていたものの、自分も自然と「それら行為を容認する存在」になっていたんですね。
今は運良くもそういう人との接点を持たずに生活していますが、考えたらこの「運良く」という感覚自体、すでに受動的ですよね。
そういう人を上司などに得た際にはなかなか思うように「認めない意志」を表現できるか、正直を言えば自信はありませんが、その人に完全同調することだけは避けたいと思いました。
坂之上さんがおっしゃっていること、もっと色々な人に届くといいなと思います。「海外との接点なくしては行き詰まってしまう今日だけれど、あなたの振舞い方はそれを不可能にしてしまうものなんだよ」と、すでに彼らと仕事をしてきた人達は教えてくれている、あなたのチャンスを広げようとしてくれているんだよ、と。
大爆笑 シャラップ上田リミックス
https://www.youtube.com/watch?v=tm4DUM7_Coo
異論に怒鳴ってはいないでしょう?
議論をやっていたのではなくて、嘲笑に対して
シャラップ言ったわけで。
シャラップの是非は別として、まともな議論のケースと
すり替えてこういう話を書いてもしょうがないと
思います。読み手からすると、「議論の時の・・・」
を書きたいがために、今回の「事件」を強引に同じ
ケースに結び付けようとした、という書き手の
底の浅さが浮き彫りになります。
この話は、単にこの人が、シャラップという言葉が
どういう時に使う言葉かという事を知らなかった
という英語力だけの問題で、ネイティブが
議論の最中にシャラップ言ったというのとは
全く異なる話だと思います。
シャラップがどういう言葉かを知っていたら、
彼は使わなかったでしょう。つまりはそういう事です。
イミフさんに同意。誰かのスピーチ中に嘲笑するのがアリな場でShut-upだけあげつらうのと、議論を怒鳴って終わらせるのは全然違う。まぁ、海外信仰の「グローバル」な人には判らないかもしれません。
これが安倍政権の本性
日本が人権後進国だってのが丸分かり
こんな連中に改憲などさせられない
選挙でNOを突きつけないといけない
異論に対して黙れなら、未だましと言えるのが、日本の実状と考えてます。
異論さえ出さないので、声の大きい人の意見や利害関係者の根回しで事が闇で決まります。
これは、イジメと同じ構造と考えます。同質以外のものを駆除します。駆除自体が目的です。KYとかの排除手段や議論の停止装置にもなっています。
おっしゃる通り、昔からあった威圧や権威でのコントロールも問題ですが、彼の大使が2013年に存在できるのは、更に議論さえしていない、出来ない社会になっている問題があります。
下品な大声でもかまいません。討議してもらいたい。黙らない!と言ってやりやって貰いたい。ペンでさえ、無口では話にならない。武器以外なら、頑張って本気の討議をすべきです。
繰り返します。
怒鳴ってでも、何とか伝えなければ、反対しなければならない時、討議、論議しなければいけない時です。
何故?議論にならない国かが問題です。国か、国民か、議員か、若者か、年寄りか?為政者か?政府か?グローバル企業か?資本家か?は別の問題ですが、全ての階層、産業、そして家庭でさえ避けているのかもしれません。
大人の対応や文化の差異を超える際の礼儀とか、ディベート作法とかそんなどころではない。と、画像やそれへのコメントを拝見して感じます。
カナダ人の主人と動画を見て、「あり得ない…」「でも日本人のオヤジってあんな感じの人多いよね」な〜んて会話をしたんですけど、
もっと心の奥底にどよ〜んと横たわっていた後ろめたさは、
子どもたちに対する私の態度…。長女が何か主張するときに、「うるさい!」でバッサリ切ってしまうことがあるじゃない、アタシ…と。
余裕のないときもある、イライラしているときもある、でも、子どもが何かを一生懸命主張しているときに取ってはいけない態度(というのは頭で分かっているけれど)しかも、そんな態度を子どもに見せつけて、覚えさせている。
私もそんな土壌を作っている一人だなと…。
私がここで、こんな土壌を子どもたちに引き継がないように断ち切らなければいけないなと…。
子どもの主張を聞いたり、感情的にならず対応したり、できればユーモアで切り返したり、そんな親になりたいなと…。
シャラップ上田氏を見て、我がふり直せの私でした。
妻から送られて来てサーッと見ましたが、これ誰が聞いたって笑うでしょ。
この人「日本は中年ではない」って真面目な顔して公の場で言っているんだから。 日本の大使が感情的になったとか言う議論より、この人が間違った
おかしな英語を真面目な顔して言っているのに問題があるよね。誰だって笑うのでは?
"Japan is not in the middle age" (日本は中年ではない!) vs
”Japan is not in the middle ages" (日本は中世ではない!)
ウイスキー on the rock (ウイスキーを石の上で)or
ウイスキー on the rocks (ウイスキーの氷割り)?
笑われるのは自業自得。
この人はとてもまじめな人で、あまり余裕がない感じですね。で、真剣にスピーチしているときに、自分の間違いに気づかず笑われて、そこで「何で笑うんだ、黙れ!」とそのまま攻撃的に反応してしまっているのが、失敗だなあ、と思います。
アメリカにすんで7年くらいですが、スピーチにジョークは不可欠なので、こういうときにとっさにジョークに取り替えることができるような人が外交には向いているような気がします。間違いに気づかなくても、「どうして笑っているんですか?何か間違った?」ともう少しやさしく質問できるような、心にゆとりのある方だったら、このスピーチはぜんぜん違ったでしょうね。