傷つくことから逃げない
ある人の傷が、ふと会話の間に少しだけ見えた時に、まるで自分の痛みのように感じられ「あぁ、」と思いました。
人が背負っている傷は、様々で、友情の亀裂かもしれないし、親や兄弟とのこともあれば、仕事の中のイザコザであったり。愛した人の事かもしれないけれど。
それぞれ、その痛みを(どう処理したのか)で、人の顔ってだんだん変わっていくのだと思う。
ちゃんと処理できたこと。
できなかったこと。
忘れたいこと。
忘れたくないこと。
全部、顔にでるよね。
傷ついて癒えない部分も含めて。
そして、苦しいことは、なぜだか人をとても魅力的にする。
思考が深くなるんだと思う。そして他人にもやさしくなれる。
だから逃げないで
ちゃんと傷ついていいんだと思う。
Posted by tentenwang at 13:09│
Comments(9)│
TrackBack(0)
この記事へのトラックバックURL
とてもきれいごとに思ってしまいます。努力も思いやりもない人間が、人を傷つけ、言い訳を言いたいがために、そういう言葉が出てくるのかなあ、って思ってしまいます。先日も、神戸の事件の加害者が本を出版して、その本が売れている、というニュースを観ました。被害者の家族の心情を本当に考えたでしょうか。私は3人の子供の母親として、自分の子供がもし、あのように無残な殺され方をしたら、時が経っても、その心の傷は癒えないと思います。こういうことに対する配慮がないからこそ、本を出版できるのではないでしょうか。子供を授かり、育むことがどれだけ大変な事か解らないから、そういうことができるのでなないでしょうか?自分の子供を殺される、って母にとって、心を切られる、尊厳を失うくらいの大きさの事をしてる、ということがわからないのでしょうか。とにかく、傷つくことを、きれいごとにしてはいけないと思っています。
経験のない傷の痛みをわかったふうにするのはよくないと思います。
ですが、どんな傷を負っても命があれば食べて寝て、生きていかなきゃいけないと思います。
そして生きることは次にくる痛みを受けることにもなります。
それでも前を向いて一歩を踏み出す姿を若い人や子供に伝えることが大切だと考えます。
ヨーコさん、先のコメントされた方の意見、どちらの仰りたいこと理解できます。
これまでの経験を踏まえて、考えて悩めて自分の意思を持てることが素敵だと思いました。
程度の問題ではないでしょうか?ようこさんのおっしゃってる事、綺麗事かもしれないし、一番傷ついている時間の中にいるときはそうは思えないけど、ふとした瞬間に、ようこさんのように思えたら前にすすめますよね。綺麗事って大切なんじゃないかなあって思ったりします。
痛みを避けすぎない心の持ちようがあってもいいのでは?という問いかけに、人生の根幹を破壊するような出来事を受け止めろというのか?と切り返すのはすこし極論に振れ過ぎな気もします。けれど、「心の傷」という言葉に、それこそ心の傷が反応したゆえの匿名さんのコメントかもしれませんね。私もふだんは何でも見過ごしがちなのに、このブログにコメントを書くのはなぜか二度目です。私達が抱えた心というものは、本当に複雑で深く不思議なものだと思われてなりません。
よーこさんのとは傷つくの種類が違う気がするから、お二人の言ってることはそれぞれに筋が通ってるかもしれないけど、それぞれは相容れないんじゃないんでしょうか。
「過剰な傷つき」はいらないと思います。
私が中学生のころ敏感すぎて過剰に傷ついてました。大きなものから小さなものまで。(例えば、他国の戦争やあるいは誰かの陰口まで・・)
でも、過剰な傷つきから得られるものはない。脳を混乱させるだけ。今はネットのせいであらゆる悲しい事件が目に付くけど、それを知っていちいち過剰に傷つく必要はあるのかな。情報過多。ネットを見すぎない。情報に心を揺さぶられすぎないこと。
身近な相手を共感し一緒に時間を過ごすうえでの多少の傷の見え隠れはその人の人となりを知る上で大事なことです。でも、自分の範疇を超えたことに過剰に傷ついてたら身が持たないですよ。
自分の人生なんだから揺さぶられすぎないのがいいと思います。ネガティブなことなんて考えだしたらきりがない。それを考えているだけでは世界は何も変わらない。
みなさん、ありがとう。
わたしのブログの読者の方はすごく深くてやさしい方が多いよね。
あと、傷つくの、わたしは怖がる方で、自分で傷ついてない!とおもって無意識にも隠しちゃう方なんでそういうエントリを書きましたが、人それぞれ違っていいと思います。
自分のこどもが殺されたら、綺麗事ではすまないです。実際に実はわたしは、米国シカゴで友人が強盗で殺され、彼女の親と裁判を経験したことあります。でも、怒り、傷つき、泣き、そして癒していかないと彼女の親もわたしたちも生きつづけれなかった。
最後に彼女の親は犯人の母親と話したんです。
神戸の事件で、本、わたしのコンサル先の社長は、売らないことにしました
。その時にいろんな話をしました。
傷は、とてもむつかしいです。
ひとりひとりの傷がいつか癒えますように。
色々あって今日、仕事中にああ、私これから傷つくんだ〜という出来事がありました。またあの嫌な心境に陥るんだ。戦いたくない、逃げたい‥とトイレに駆け込んで泣きました。でも何が何でも今日やっぱり日中は仕事を頑張らなきゃいけないので、頭痛いときに 頭痛薬を探すような心境で携帯をいじってたらここにたどり着きました。いつも本を読ませて頂いている坂之上さんのブログ。記事を読んで落ち着きました。仕事が終わったら逃げないでしっかり傷つこうと思えました。 ありがとうございます。