2017年05月03日

骨はなんて言うんだろう

伊勢神宮の後、偶然立ち寄った朝熊岳金剛證寺。

伊勢神宮の賑やかさに比べて、参拝客は数人だった。

たくさんの亡くなった方々の墓標の横でこんな碑がひっそりと佇んでいました。

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気になって検索したら詩の全文がでてきました。

五月のようにから引用

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竹内浩三


戦死やあはれ
兵隊の死ぬるやあはれ
とほい他国で
ひょんと死ぬるや

だまって 
だれもいないところで
ひょんと死ぬるや

ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや

国のため
大君のため
死んでしまうや

その心や
苔いぢらしや
あはれや兵隊の死ぬるや
こらへきれないさびしさや

なかず
咆えず
ひたすら
銃を持つ

白い箱にて
故国をながめる
音もなく
なにもない

帰っては
きましたけれど
故国の人のよそよそしさや

自分の事務や
女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし

骨は骨として
勲章をもらひ
高く崇められ
ほまれは高し
なれど 
骨は骨 


骨はききたかった
絶大な愛情のひびきを
ききたかった

それはなかった

がらがら
どんどん
事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた


骨は 
チンチン音を立てて
粉になった

ああ 
戦死やあはれ
故国の風は
骨を吹きとばした

故国は発展にいそがしかった

女は化粧にいそがしかった

なんにもないところで

骨は 
なんにもなしになった

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これを書いた竹内さんはフィリピンで戦死されたそうです。

戦争はじまる前は日大芸術学部映画科の学生だったようです。文芸雑誌の編集者でもあり。

陽気で仕送りのお金は、あれば珈琲か映画、レコード、古本にぜんぶ使ってしまう。
借金もするし、お金も友達に貸しちゃう、陽気でちょっと芸術肌の青年だったみたい。

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彼は一番左の人。

戦争がはじまり、新宿で飲んで、別れた友人達も戦死したようです。
その時の詩も自分死を見つめた詩も思わず涙が出る



どうして230万人の日本人が死ななくちゃいけなかったんだろう。

その時代の正義があった。

どうして日本人が罪のない人達を殺さなくちゃいけなかったんだろう?
それが戦争だから。
そしてその時代のその国の正義があったから。

たぶんそうなのだろう。

でも、ひとり、ひとりは、どんなに苦しんだか。その犠牲を超えるほどの正義はなんだったんだろう。

他に道はなかったのか。
もう少し全員が冷静になれなかったのか。

落ちついて、は弱気に聞こえるけれど。
威勢の良い強さはかっこよくみえるけれど

でも、歴史をみれば、世界中どこでも、犠牲になるのはふつうの弱い人たちで。


「おちついて」と骨が言ってる気がしました。

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