2017年06月24日

目に見えないもの

友人の猫が死んでしまい、使っていたブランケットを見ては、何度も「まだそこにいる」ような気がするのです。って言ってました。
ペットは、家族と同じだと思います。だからその気持ちが、痛いほどわかります。



そんな話を聞いていて、ふと母の亡くなった後の不思議な出来事を思い出しました。

母は癌で亡くなったのですが、実は妹は海外で留学中で死に目に会えませんでした。彼女が戻ってきた時、実家はすでに菊の花に包まれたお葬式の用意が整っていました。
妹は知らせが遅かったことを怒っていました。

「死」というものをまじかに見た経験がなかった私には、母がもう死んでしまうようには、みえなかったのです。

彼女の悲しみはそれはそれは深いものがありました。
自分の部屋でうずくまって震えて泣いていました。
私は私で、まだ学期途中だしとか、母はなぜだか死なないと信じていて、早く帰ってきてもらうという判断がなぜできなかったのか、自分の落ち度に苦しみました。

お葬式が終わった日の夜に、妹の部屋の縁側に小さな猫がきました。野良猫だと思うのですが、子猫で、可愛くてずっと縁側でにゃあ、にゃあ、泣くのです。
私たちは、その子が可愛くて思わず、ミルクをあげました。

猫は頭がはげていて、まるで抗がん剤で頭の毛が亡くなった母のようだと私たちは苦笑しました。


愛らしい猫は、次の日もその次の日も縁側に逃げもせず、ずっといました。
「ミルクをあげたからだね」
妹や私たちはその突然の愛くるしい野良猫を見てくすり、と笑うようになりました。
そしてからだなでてあげたり、妹はキャットフードの高級なものを買ってあげたりしていました。
「そんなことしたら住みついちゃうよ」
そう言いながらも、私もその子を見て穏やかな気持ちになりました。

それから初七日の準備や葬儀の支払いや後片付け、長女として、やらなければならないことで目まぐるしくすぎて行きました。あまりにも雑用が多く、また自分も悲しみにくれており、妹にも気を使ってあげることもできませんでした。
その間、縁側にその子猫はずっといて、私たちは猫をなでては、ちょっとだけなごむのでした。

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そして、初七日が終わった日に、子猫は突然いなくなりました。

私たちはパニックになりました。交通事故にあったのではないか。保健所に連れて行かれたのではないか。そこらじゅう、探し回りました。
餌も毎日あげてたんだから、戻ってくるよ。
私たちは、慰めあいました。

それでも、その猫は戻ってきませんでした。

私たちは愕然としました。猫を飼ったことがなかったので、あの人懐っこさは、ペットの猫だったのかもしれないよねとも言いました。家に戻ったのかな、と。
ふと私が言いました。

「あれは、お母さんだったよね」
「うん。。。」
「写真とればよかったね。。」

私はスピリチャルなことを信じない現実主義者なので、ただの偶然だろうな、とも思っています。
でもあの子猫のおかげで、私たちの心が癒されたのは確かです。

(母がきてくれたじゃないかと私たちがそう思ってしまう)ほど、私たちは愛されたということなんだろうな、と。

「愛」という目に見えないもの。

今、苦しんでいる友人の心が癒されますように。


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