七夕だったので、保証とか安定についてぼんやりと考えてました。
巷のニュースで騒がれてることで引っかかった言葉。
「幸せにしてくれると約束してくれたのに」
それ聞いて、そもそも「幸せ」とか「愛」って、そもそも約束というか保証できないよ。って思った。
仕事でも、そう。大企業に入ったって、いつリストラされるかわからない。
生きていく上で保証って、実は何にもないんだと思う。
みんなそれに気がついていて、だから、不安になって、その不安をかき消すために、つい一生懸命に(愛した人を束縛)したり、必要とされていない場所にしがみついたりする。
でも、まわりを見渡すと、嫉妬や愛から、相手を束縛するを選んだカップルは10年ぐらい経ってみれば、諦めやこんなもんかって感じでなんだか幸せそうになってない。
仕事だってそうだ。そこで必要とされなてないのに、安定を選んだ人の目はうつろだ。
保証や安定って、なんなんだろう。
私は、よく「安定してる結婚してていいなぁ」とか、「自由に行動されてるのは、お互い裏切らないと信用しあっているのですね」「凄いキャリアがあっていいなぁ」と言われる。
そう言われると思わず苦笑してしまう。
「別に安定してないよ。明日はどうなるかわかんないし」
そう言うと、皆意味がわからないって顔をする。
そんな時、私は逆に驚いてしまう。
私の仕事はフリーランスで、自分のできることぐらいはいつでも代替えがきく。流行り廃りもあるので時流が変われば簡単に仕事はゼロになる。
だから安定なんてとこから一番遠い。
「結婚」も、結婚届で、愛が安定するなら
「信用してる」という言葉で相手の気持ちや行動を縛るなら
それこそ「制約」や「束縛」であって愛じゃない気がする。
もちろん約束や誓いの言葉が悪いとは思わないし
甘い言葉は甘美で素敵だし誓いは美しいって思う。
でもそれは、その日のその瞬間の気持ちなんだと思う。
明日の保証はどこにもないし
生きてたらいろんなことが起きる。
結婚していてもどんなに優しい人でも、愛した人から愛されなくなる可能性や、仕事がなくなることや、子育ての問題、お金の問題、介護、もちろん災害も。
安定や保証がないとわかっているからこそ、今日この時間を大切にする。仕事も恋愛も。
そして、誰であろうと一緒に過ごす相手が(今の瞬間)最高に心地よいと思えれば、あ、幸せだなとその都度思う。
永遠や保証がないからこそ、不安定だからこそ、見えるものだってある。
愛も幸せも心の安定も一方的にもらうものじゃなくて、自分も参加してつくってるから。